二代目賢者の参考書~第十六話~


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作者:冴吹稔

 異界から現れてバルドランド王国に知恵をもたらした賢者がいた。もと孤児の養女、メリッサは書記の仕事の傍ら、王都で二代目の賢者としての第一歩を踏み出した。
 彼女を協力者と見込んで期待を寄せる女伯爵、ウルスラ・リンドブルムは目付け役として家臣の一人フェリクスを王都へ派遣する。

 メリッサの兄弟子である特別顧問官ギルベルトもまた、彼女を片腕として師の遺した諸々の課題、難題に対処しようと、メリッサの囲い込みを図っていたからだ。
 
 だがそんな中、王国に思いがけない災厄が海から迫ろうとしていた。

第十六話「三人と三人」


 メリッサもギルベルトもさすがに言葉を失った。

「そ、その、さすがにそれは、陛下――仰せとはいえ、いくら何でも」

 ギルベルトの狼狽ぶりはひどいものだった。メリッサが兄弟子を見知って以来、初めて心底から彼を哀れと感じたほどに。

「き、危険です! おやめください。もしも御身に万が一障りがあれば、王国が揺らぎまする……それにまだ陛下にはお世継ぎも」
「なに、私に何かあったところで姉上がおられるさ」
「お戯れを……! マルグリッド様は女性ですし、そもそも今フローリエンにいらっしゃるのですぞ」

 王の姉、三歳年上になるマルグリッド王女はエレンブルグに対するけん制のための外交策の一環として、南の海運国家に嫁いでいる。第一子である王子の誕生の報に両国がわいたのは、ちょうどメリッサが書記勤めを始めたころだった。

「女に王が務まらんということはないだろう。姉上なら私よりよほどうまくやるさ。そして姉上の子はフローリエンとバルドランド両方の王冠をいただくことになるだろう。そら、大陸でもっとも豊かな強国の出来上がりだ」

 ギルベルトが酢を飲んだように顔をしかめた。
「そうすんなりと行けば苦労はしません。確実に戦争になります。或いは内戦に……われわれはそのようなことが起きないためにこそ、日々この頭をゆであがらんばかりに酷使しておるのですぞ」
 だが言い募るギルベルトに、王は涼しげな顔で微笑んだ。
「いいかいギルベルト。ひとたび立ち起これば大勢の民が命を失い、国が傾く――疫病はいわば戦と等しい国難だよ。他国が攻めてくれば王は陣の先頭に立つものだ。ならば疫病に対しても率先して立ち向かい、戦いの指揮をとらねばならん。そうじゃないか?」

 いかにももっともらしく聞こえるが後付けの理屈であることは明白だった。なにせ、二人ともしっかり聞いた――ウンベルト三世は「面白そうだ」とのたまったのだ。
 さて議会の承認なしには王といえども勝手に法律を定めたり税を新設したりできないのは、国法の定める所。とはいえ、個人の意思を押し通す力においては、やはり王の右に出るものはない。
 二人は結局、謁見の間では首を縦に振らざるを得なかった。ウンベルト三世が行く、と言えば、ギルベルトにもメリッサにもそれを押しとどめるすべはなかった。


「考えようによっては、これ以上の通行許可証もありませんね。必要な物や人はその場で徴発できるでしょうし……」
「さらっと恐ろしいことを言いますね。マガキ様もそうでしたが、やはり賢者の発想というのはこの世の通念や常識と、どこかかけ離れているようだ」
「……あなたもその影響を受けた一人じゃないですか」
 来た時と逆に回廊をたどりながら、メリッサはギルベルトと今後の行動について小声で相談していた。王がついてくるとなれば、それに応じて方針の修正を考える必要がある。

「急いで必要な物品の一覧表を作ります……シンスブルグから持ってきた草木紙がそろそろ残り少ないのが気がかりだわ。補充を頼んだのだけれど、まだ届かないみたいで」

 紙は連絡や命令に使うばかりでもない。養父にかつて聞いたところでは、疫病というのは空気中にいる目に見えないほど小さな生物が人体に入り込んで引き起こされるのだという。
 煙草のパイプのことを思いついたのもその話がもとだが、簡易的には呼吸を通す程度に緩く漉かれた紙の繊維でも、それらの微小な悪魔をからめとることができるはずなのだ。

「人員の手配はこちらでやりましょう。まあ、王が同行するとなれば兵士たちはじめ現場の士気は高まるでしょうが」

 急がねばなるまい。もとより寸刻を争う案件ではあるが、ぐずぐずしていると王が自分でお気に入りの人間などを選んで連れてきかねない。
 
「とにかく、王には直接現場へ、船の中へ入るようなことはさせられない……これだけはなにがあっても譲れません」
「そうですね……百歩譲って港までです。後方指揮所とか対策本部とか、なにかもっともらしい拠点を設けて陛下にはそこに座ってていただきましょう」
「いい考えですが、あの方にどこまで通用することやら……」

 兄妹弟子はどちらからともなく顔を見合わせて同時に深いため息をついた。カライスの港に最も近い大都市は、司教座のあるレンウッドだ。

 人員と物資、機材を取りまとめて彼らが王都を出発したのは二日後の朝だった。

 
         * * * * * * *


(妙なことになったな)
 フェリクスがぼやいた。

(うん、妙なことになったねえ)
 コンラッドが肩をすくめて天を仰いだ。

 森を出て馬で進むことすでに数時間、空は高く晴れていつになく涼しい風が吹き、天気は上々。このまま街道沿いに進めばレンウッドに着く。街道が封鎖され始めているはずだが、この辺りではまだ普段と変わった様子はない。

 申し分のない旅のはずだが、そこに加わった新しい要素が二人を困惑させていた。それは二人の馬の後ろを、少し離れてついてくる。
 フード付きのマントを深くかぶって、種族に特徴的な異形の瞳孔を隠した、巡礼姿の――

「もう少しゆっくり進め! 私は徒歩なんだぞ……お前たちまさかもう自分が捕虜だってことを忘れたんじゃないだろうな?」

 シー族の女斥候、ペヌロンである。人外の種族である彼らは、集団であれば標的とした人間の心を読み、精神を混乱させて一時的に判断を誤らせることができる異能を発揮するが、今は掛け値なしに彼女一人。
 主張とは裏腹にペヌロンこそがフェリクスたちの捕虜かと思えるが、これでも彼女は二人言葉の真偽を実地に確かめるという名目で動いているのだ。

(僕がいらんことを言ったのがまずかったみたいだ。すまない)
(いや、まあそれはいい。あの場ではああ言うしかなかっただろう)

 疫病流行の情報を聞いて半信半疑のペヌロンに、コンラッドが揺さぶりをかけた。それが事の起こりだった。

 ――疑うのは自由だけどね、僕たちが次の街へ連絡に行かなければ、この街道沿いの防備が遅れることになる。そうしたら……森に、君たちの居留地にまでも疫病が広がってくるかもしれないね。想像するに、君たちも人間の病気に普通にかかるんだろう?

 これがペヌロンにひどく効いた。効きすぎた。彼女はしばし考えた後、意を決して二人を解放することにしたのだ。

「私はお前たちを解放したわけじゃない。お前たちは我々の存在を知り、居留地まで目にしたんだ。方々で触れ回るようなことをされないように、私が監視する。そのうえで、お前たちの言うことが本当なら、一族をもっと奥地まで移動させなければならん……ええい、まったく面倒な!」

(やれやれ、「どっちが」と言ってやりたくなるよ)
(まあね。ふうむ……フェリクス、苦労性な君はあんがい、付き合ってみれば彼女とうまが合うんじゃないか?)
(な……ッ)

「何を隠れてぼそぼそしゃべっとるか!! 全部聞こえてるんだからな!!」
 後ろからペヌロンが怒鳴った。
「わ、我々のぉ、聴力を、甘く見るなよ……ッ!!」
 
(うん、まんざらでもなさそうじゃないか)
(コンラッド……意外とたちが悪いな、君は)

「私を愚弄するんじゃない……これで疫病の話が逃げるための作り話とかだったら、承知しないからな」
 そういう彼女の息は荒く、顔は赤い。別におかしな意味ではなく、森の民と言えども長距離を馬の速度に合わせて歩き通すのは堪えるのだ。

「……その辺で少し休もうか」
 相手が厳密な意味での人間でないとしても、やはりこういう時は分別と思いやりが先に立つ。
 
 フェリクスは馬を休ませられ、人が腰を下ろせるような手ごろな場所を求めて、周囲を見回した。街道のずっと先のほうには、木材を組み合わせたにわか作りの防馬柵のようなものが見える。どうやらレンウッド手前の封鎖線、その最初の一つらしい。

「ん?」

 視界の隅に妙なものを捉えて、フェリクスはそちらへ向き直った。街道から少し上がった小高い土手、雑木林が低く連なるその境目辺りに、人目を避けるようにしゃがみ込んで封鎖線のあたりを窺っている者がいる。
「旅人みたいだけど、様子が変だな」
 コンラッドも同じものをみとめて、フェリクスに馬を寄せて耳打ちしてきた。