二代目賢者の参考書~第十一話~


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作者:冴吹稔

 異界から現れてバルドランド王国に知恵をもたらした賢者がいた。もと孤児の養女、メリッサは書記の仕事の傍ら、王都で二代目の賢者としての第一歩を踏み出した。
 彼女を協力者と見込んで期待を寄せる女伯爵、ウルスラ・リンドブルムは目付け役として家臣の一人フェリクスを王都へ派遣する。

 メリッサの兄弟子である特別顧問官ギルベルトもまた、彼女を片腕として師の遺した諸々の課題、難題に対処しようと、メリッサの囲い込みを図っていたからだ。
 
 だがそんな中、王国に思いがけない災厄が海から迫ろうとしていた。

第十一話「早馬の行方」

伝令の黒馬はコンラッドにずいぶん懐いたようだった。賢い動物には、助けてもらった相手がちゃんと分かるのだ。
 コンラッドの方も馬好きと見えて、手綱を引いて歩きながら優しい声でずっと話しかけていた。

「よしよし、いい子だ……それにしても、なあ黒いの。お前、なんであんなに無理やり走らされたんだろうな?」
 いくら魔法が使えても、馬の言葉が分かるわけではあるまい。これは暗に自分に訊いているのだ、とフェリクスは気が付いた。
「……あの伝令、カライスからだと言っていたな。私もつい最近あそこから帰ったばかりだが、大きな港町だ。ヒベルニアやほかの国から直接船が着くことも多い、多分なにか重大な情報が届いたんだろう」
「ふむ、それで人の命にかかわるとなると、例えば戦争かな? 嫌だねえ、おちおち旅もできなくなりそうだ」
 コンラッドは目に見えて憂鬱そうになった。
「僕みたいな放浪者は、駆り集められてガレー船でも漕がされるかもしれない」
「まさか。馬を治せる魔法使いをそんなやり方でこき使うことはないだろう」
「ああ、そのことだけど――」
 言いかけて言葉を濁す。どうした、とフェリクスが先をうながすと、コンラッドはきまりの悪そうな顔で言い出した。
「僕が魔法を使ったことは、ほかの人には黙っておいてくれないか。さっきは馬がかわいそうでついやってしまったが、祖母にはあまり人に見せるなと言われててね」
 ああ、なるほど――フェリクスにはごく自然にその言い分が飲み込めた。

 魔法とよばれる各種のまじないや占いには、この大陸で信仰されている神々とは相いれない部分があるのだ。然るべき時間や労力をかけずにものごとを変化させる行いは、一般には神を出し抜く不遜な行為だとされる。
 そもそも魔法使いたち自身も、そうした技との付き合い方に迷い続けて生涯を終えることがほとんどだ。少なくとも、フェリクスの狭く浅い見聞で知る限りはそうだった。

「レンウッドは神官たちのお膝下だし、余計な面倒を起こすべきではあるまいな。お互いに気を付けるとしよう」
「うん。ありがとう」
 
 安堵した様子のコンラッドに、フェリクスは「戦争はしばらくないだろう」と言い添えた。
 エレンブルグの動静はまだ油断がならないが、海を隔てたヒベルニアも、山脈をはさんだ南のフローリエンも、国内は平穏でバルドランドとの関係もいまのところ友好的だ。少なくとも海から攻め込まれることは当面ないはずなのだ。

 では、早馬はなにを知らせようとしていたのか? コンラッドの鼻歌を聴きながら街道を進むうち、フェリクスはいつしかその疑問をうやむやに置き忘れてしまっていた。

 二人が司教座都市レンウッドの城門をくぐったのはちょうど日没の寸前だった。彼らはまず宿場の駅亭へと向かった。
 近隣諸国のなかでもバルドランドは国土が広く、平野の占める割合が多い。古くからの街道は何度かの戦争を経て、大きな都市の間をほぼ最短距離で走るようになっていた。
街道にはおよそ一定間隔で宿場が設けられ、その中の駅亭と呼ばれる施設に武官が駐在している。伝令用の替え馬も駅亭に置かれていた。

 コンラッドと黒馬を少し離れた場所で待たせ、フェリクスは駅亭に入っていった。ちょっとした富農の屋敷くらいの規模で、スレート葺きの平屋。全体にむっとくるような馬糞の匂いが漂うのは、敷地の半分以上が厩舎に充てられているせいだ。
 彼の服装を見た兵士がにわかに威儀を正して、用件を聞きに来る。
「レンウッドの駅亭にようこそ。いかようなご用でしょうか」
フェリクスは急使に渡された短剣と財布を示して事情を説明した。
「……そんなわけで、使者殿はこの宿場で乗り換えて、私の葦毛の馬を置いて行かれたはずなのです」
「ああ、あの馬は貴方様のでありましたか。まだ駆けられそうなものを、どうしてもと交換されたので不思議に思っておりました」
 兵士はすぐに駐在の武官を呼んできた。現れた武官はいかにも騎士階級と言った感じの中年男で、半白になった髪の下で鍛鉄のような色の瞳が鋭い光を放っていた。
 威厳のある人物だが、今は何か気がかりなことがあるらしく、しきりに口髭の先端をつまんでは捻り回している。
「レンウッド駐在の騎士、ジャレッドと申します。あの葦毛は水と飼い葉を与えて、大切に預かっておりますよ」
「ご丁寧に。私はフェリクス・ベルクシュタイン。では早速馬を引き取らせていただきましょう。つけてある馬具は無論お返しします、あれは公(おおやけ)のものですから」

 厩舎に行くと、柵の間で葦毛のカイヤールが元気に飼い葉を噛んでいた。急使も気を使って大事に乗ってくれたらしい。ジャレッドに手伝ってもらって馬具を外していると、不意に尋ねられた。
「そういえば、あなたの馬具は?」
 しまった、と内心でほぞを噛んだ。持ってきた方が自然だったのだが、それではコンラッドに銜(はみ)も轡(くつわ)もなしの裸馬を引き回させることになる。
「……連れに持たせてあります」
「なるほど、そうでしたか……」
 ジャレッドは何やら思案顔になった。
「もしや、お連れの方というのも……馬をお持ちですか?」

 話がおかしなことになってきたのを感じて、フェリクスは内心で冷や汗を流した。もとより死ぬはずだったものではあるが、このままコンラッドの魔法を隠し通そうとすれば、図らずもあの黒馬を横領することになってしまうではないか。

「え、ええ、まあ。いま今夜の宿を探してもらっているところで」
「それでしたら、私の方でよい宿を手配しましょう。その代わりと言っては何ですが、実はお願いしたいことがありまして。お急ぎでなければ」
 そら来おった、とフェリクスは身構えた。
「あまり日取りの余裕はないのですが、お話をうかがってみないことには何とも」
 取りあえず、そういわざるを得ない。だがこういうのは断っても引き受けても、面倒な寄り道になるに相違ない――

「個人的にですが、急ぎの手紙を届けて欲しいところがありまして。できればお連れの方と二人でだと心強い」

         * * * * * * *

 カライスからの急報を受けて、ケーニクスハーフェンの港湾管理局は大混乱に陥っていた。
 中でも港湾管理官のボッシュ氏は、手元に届いた書面を見た瞬間危うく卒倒するところだった。かろうじて椅子のひじ掛けにしがみついてもちこたえ、呼び鈴を鳴らして部下を招集した。
「一刻の猶予もならん! ホールワードと王都の間の全宿場に早馬を出せ!!」
「さ、早急に手配しますが、各港に問い合わせに出した伝令がまだ半分も戻っておらず、馬が足りません」
「なんとかしろ……金を出して済むことなら出す。密輸取り締まりのための巡視船購入に充てるはずだった予算を、取り崩してもかまわん」

 ボッシュ氏の剣幕はすさまじかった。目を血走らせ地団駄を踏み、天を仰いで神をののしりさえした。

 カライスからようやく届いたのは、最悪の知らせだった。フローリエンから到着した船が一隻、港を出た沖合で停泊させられている最中だというのだ。
 船尾に掲げられた信号旗は、黒地に白い四角、その内側に赤い四角――「医薬救援要請」だ。船では疫病患者が発生しており、カライスは目下その対応に追われている。
 だが、ボッシュ氏を恐懼させたのはその船そのものではない。

 ケーニクスハーフェンよりもずっと南にある港町、ホールワード。問題の船は、そこに寄港したときに巡礼を含む四名ほどの旅行者を上陸させていた――