刻印師の拾いもの ~第1話~


作者:久遠マリ

中央行政区、裏路地に存在する酒場“碧森堂”には裏の品書きが存在する。護身用の装飾品だ。革命後の混乱する社会の中で職や土地を失った元帝国貴族達と取引を行うのは、一人で店を切り盛りする女主人のエラ。多忙を極める彼女は、ある日素材の引き取りに赴いた先で、その場に似つかわしくない人物と出会うのだが……



◇◇◇


 ふと意識が浮上して目を開けると、そこに転がっているのは小指の爪程の大きさの水魔石。円形に割られたその中央には術式文字レファンティアングが途中まで刻まれていて、続きを彫らねばと右手を動かせば、塗装合金の針を先に取り付けた刻印棒が指に当たり、板張りの床に転がり落ちる寸前で、慌てて彼女はそれを掴んだ。商売道具に傷を付けるなど以ての外である。
 彼女は顔を上げる。鈍痛が後頭部の右寄りを刺して、気付いた、どうやら作業台の上に俯せたまま寝落ちていたらしい。時刻盤の方を振り向けば既に昼六の刻を過ぎている、そろそろ夕刻だ。いつも起きる時間である。
 振り返った弾みで滑り落ちてくる灰のような色をした自分の髪が非常に鬱陶しい。

「……切ろうかな」

 独りごちてから、やっぱり、と彼女は思い直し、前髪も一緒くたにして髪を纏め直した。

「……やめよう」

 纏められる長さでないと、シヴォライト鋼の成型や研磨は勿論、特に細かい作業を行う魔石刻印の際の邪魔になるのは確実だ。効率的ではない。
 彼女は中途半端が嫌いだ。術式文字だけでも仕上げてしまおう、と考え、刻印棒を利きの右手で持ち直す。水魔石の表面に中途半端に刻まれている水の刃の発動を補助する術式文字を仕上げていく。装飾の中でも目立つ部類の胸飾りに仕上げる予定であるので、完璧な流水紋を描かなければならないが、得意分野は“曲線”と“対称”だ。
 刻印棒と彼女自身の手は何を違えることもなく、正確に、優美な曲線を描いて魔石を削っていった。彼女にとって一番楽しい作業は、シヴォライト鋼を薄く伸ばして台座や細工を成型する時だが、固い塗装合金の細い針が柔らかな魔石の表面を削っていくのもなかなか楽しい。
 半刻の作業の後に流水紋は複雑に絡み合い、完璧な左右対称を描いた。彼女は満足し、疲れの取れない身体に鞭を打って、どっしりと白いエルカ材の椅子から立ち上がる。両腕を胸の前で組んで、持ち上げ、左右に伸ばすと、身体の中を伝わって何度も響いてくるのは、あちこちで盛大に骨が鳴る音。

「痛い、痛い」

 彼女は呻きながら作業台から離れた。気分を変えたくて窓の内側に吊るした遮光布を左右に引くと、連なる白石造りの集合住宅の上、術力による翠光の竜翼を拡げて風精霊を撒き散らしながら比較的低空を駆け抜けていくのは、運送組合の小型飛行機だ――サヴォラと呼ばれている――機体には風の精霊王を象った紋章が金塗装で施されていた。
 借りているのは午後の太陽が差し込まない物件なので、太陽の位置はわからないが、外はきらきらと美しい。サヴォラの残して行った風精霊の笑い声が、グランス鋼の窓の外から騒がしく響いてきた。中央行政区に住んでいる比較的裕福な市民であろう、丈の長い胴着に羽織といった格好の女性が歩いて行くのが見える。抱えているのは凛鳴広場に店を構える“彩浪亭”のパンだ。
 そうして彼女は思い出す、今日は休日、店の仕入れの日であった。

「ああ……」

 そう、行かなければいけない場所は沢山ある、何より欲しいのは魔石と塗装合金の材料となるフェークライト鋼やシヴォライト鋼の屑だ。が、彼女の心は酒場の食材を配達で頼もうと即決していたし、身体は、窓際から取って返して支度をするかわりに平面映像機の動力を入れた。ヴン、という音を立てて今日のシルディアナ放送が流れ出す、途中だ。

「――尚、首都においては、中央行政区を含む各区から群主が選出されるということが、アーフェルズ・アンデリー氏から発表されました――」

 群主制共和国、などという単語が、画面の向こうから聞こえてくる。帝国を覆した革命の後処理は少しずつ進んでいるらしい。
 中央行政区。彼女の経営する酒場“碧森堂”の客がしていた革命の話を思い出す。つい数日前に彼女から襟飾りを受け取った元貴族は、満足した表情で意匠と繊細さと出来を一通り褒めた後に、革命後のシルディアナの発展の為に自分の財産の半分を国庫に寄付しなければいけない、信用の証として自分の術力を使って書面魔石化まで行った、などとぼやいていた。準備している寄付財産が狙われるという噂が実しやかに囁かれ、ここの所は酒場“碧森堂”の裏品である護身用の魔石装飾品の注文も増えていた。
 おかげで、嬉しい悲鳴などと言っている場合ではない眠気が彼女の身体を支配している。外に出る前から既に帰りたいという気持ちで心の中が一杯だ――食材の調達を諦めたというのに。

「……行くか」

 わざと大声を出して気合いを入れないと動けるわけがない。
 彼女は湯浴み場でさっと水浴びをして髪と肌を手入れし、ついでに無駄な毛も剃る。清潔な下着をつけ、首で吊る長い胴着を身に付けた。胴と脚を覆う薄黄色のそれには、左太腿から足元まで長い切れ込みが入っており、彼女の持っている服の中では一番楽に動ける。丈の短い羽織に腕を通し、草食竜の革製の編み上げサンダルを履き、同素材で財布代わりの衣嚢付きのベルトを付けた。
 隈を隠す為に目元に濃い目の化粧を施し、笑顔が映えるように頬と唇に色を置けば、戦闘準備は完了である。作業場の外に出たらそこは仕事の空間だ。
 小さくて狭い店の中をそのまま通って表に出ると、隣に小さな店舗を構える雑貨屋の老婆がちょうど表に出てきており、水魔石を石畳に叩きつけ、放たれる水で涼しさを撒いていた。

「おや、エラちゃん、おはようさんでよかった?」
「正解、おはようございます、サーラさん」
 老婆の挨拶はよく通る気持ちいい声だ。彼女もにっこりした。

「気合い入れて、いつも大変だねえ、今日はお休みじゃあないのかい?」
「ええ、休みなので、仕入れに」
「それじゃあ仕事じゃないのさ、休みな、休みな」
「一段落したらちゃんと休みますよ」

 その辺の男と同じくらい背が高い彼女と比べて、老婆は小柄だが、決して弱く見えることはない。愛想よく微笑んだ皺の一本一本が、彼女の目には眩しいのだ。

「そうそう、この前貰った首飾りね、本当に良かったのよ」
「気に入って頂けましたか?」

 独り身の彼女が店を開いた時から、何かと気に掛けて時折料理の差し入れをくれる老婆である。お礼のつもりで台座に草食竜の仔を模った土魔石の首飾りを進呈したのは一月前のことなのだが、その胸元に目をやれば、燐光を放っている筈の土魔石は光を失っていた。

「あら、術力がない」
「そう、それなのよ!」
 よく気付いてくれたと言わんばかりの老婆に、彼女は思わず身構えた。

「つい昨日ね、お店で盗みを見たの」
「盗み! 大丈夫だったのですか?」
「投げられる魔石がなかったのよ、ほら、エラちゃん、いざとなったら投げてねって言って、これをくれたでしょう?」

 老婆がしわくちゃの手で首飾りの竜の仔をそっと掲げる。投げた筈のそれに傷がひとつも付いていないのは、彼女がシヴォライト鋼にフェークライト鋼の塗装を薄く施したからだ。

「投げたらね、とっても丈夫で縄みたいなぶっとい蔓が出てきてね、捕まえたの!」
「……縄、ですか」
「そう、縄だったのよ、盗んだ人がね、顔から石畳に突っ込んじゃったから、ちょっと可哀想になっちゃった、でも、この竜の仔は無事なのよ、気に入っているからよかったわ、ありがとうね!」

 細い蔓植物程度の威力を想定して刻印を施したのだが、どうも予想以上の効果があったらしい。どちらにせよ、老婆が無事だったことと気に入って貰えていることに彼女は安心して、微笑んだ。

「それはよかったです」

 凛鳴放送の機械鳥だろう、雑貨屋の中から昼七の刻を告げる音楽が聞こえてくる。その音を聞いて、可笑しそうにころころと笑っていた老婆は一瞬で真顔になった。

「あ、私が引き留めちゃあ、昼の刻が終わってしまうね、すまないね」
「まだ大丈夫ですけれどね」
「いや、早く行って休みな、休みな……じゃあ、エラちゃんに良い出会いがありますように、ね、今はこれで」
「サーラさんも良い出会いがありますように、今はこれで」

 老婆に笑顔で暇を告げて、彼女は歩き出した。
 行き先は、北商人居住区を東西に突っ切る鍛冶屋通りだ、金属や魔石を取り扱う店が多く、卸問屋は中央行政区に非常に近いので有り難い。すぐに金属のぶつかる音や大声が聞こえてきた、そういった職人の空間が彼女は好きだ。
 だが、彼女は気付く。
 通りを行き来するのは汚れた胴着に革の手袋にズボンという恰好のがっちりした人々が殆どだが、妙に小綺麗な人間が一人いるのだ。まだ若い男で、何かを訴えている相手は、彼女が行く問屋の店主である、何か問題だろうか。周囲の職人達が至極面倒臭そうな視線を向けている。

「――何故だ、何もやっておらぬうちから出来ぬと決めつけるのは、早計であろう」
「確かにそうだが、いきなりはちょっと――」

 彼女は首を傾げた。帰って寝たいという想いは強いが、このままぼうっと待っていても何も解決しそうにない雰囲気である。それに、好奇心も湧き上がってきた。
 彼女はつとめて明るく、声を掛けた。

「ご機嫌よう、ティオさん」



◎他にこんな小説がオススメ!

『竜殺しの称号、金貨何枚で買いますか?』(為三)
『D-EVIL』(白城 海)