刻印師の拾いもの ~第3話~

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作者:久遠マリ

中央行政区、裏路地に存在する酒場“碧森堂”には裏の品書きが存在する。護身用の装飾品だ。革命後の混乱する社会の中で職や土地を失った元帝国貴族達と取引を行うのは、一人で店を切り盛りする女主人のエラ。多忙を極める彼女は、ある日素材の引き取りに赴いた先で、その場に似つかわしくない人物と出会うのだが……

◇◇◇

 彼女が真っ先に思ったのは、どうしよう、である。
 熱い炊き飯の中に勢い良くスプーンを突っ込み、息を吹きかけて冷ましながら口に運ぶのを繰り返している若者は、その両目から涙をぼろぼろと流していた。掛ける慰めの言葉も思いつかず、かといってそのままにするのも忍びない。少し迷ってから、手を伸ばし、まだ湿っているその頭を軽く叩いて、くしゃりと掻き混ぜた。

「……冷ます?」

 ただそう訊けば、若者は首を振った。
 幼い丸みの消えかかった顎から静かに零れ落ちる雫の量が減った頃、鍋の中身は米一粒残さず全て若者の胃の中へと消え、珊瑚樹の実の紅を僅かに残すのみとなっていた。見ていた彼女からしても気持ちの良い食べっぷりであったので、満足である。

「母上の炊き飯と似ていた」
 真っ赤になった目を拭いながら若者は呟いた。

「兄上達や姉上達は帝国軍や研究所に詰めていて帰りが遅かったので、学舎にいた私が一番早く帰宅して、まず手伝うのは食材の調達でした……それから、母が調理場に立つ時は……」
「貴方もそこにいたのね」
「そうです、他にも、母が邸宅内で行う編み装飾の仕事も手伝っていました……しかし、私が学舎を卒業する少し前に」
 俯くその横顔を新しい涙が伝っていく。落ちていく雫が、握り締められた若者の左手と彼女の心を同時に打った。

「亡くなりました……二ヵ月程前です、革命が起きてすぐ……私が十六歳になって、成人を迎えた翌日に……数年前から大病を患っていて」
「……うん」
 思わず、彼女はもう一度手を伸ばして濡れた頭を撫でる。すると、若者は頭を振って水滴を飛ばしながら逃れ、抵抗してくるのだ。

「やめて下さい」
 居丈高に引き結ばれた唇。細められた双眸は睨んできた。

「……父上からは、もう大人なのだから仕事ぐらい自分で探して来い、それが出来たら精霊に還った母も褒めてくれるだろう、と言われて……兄上達や姉上達も、新しい仕事を覚えるのに手一杯で、私の口利きをしてくれる程余裕がなかったから……でも、私はもう大人なのだから一人で頑張るには丁度いい、と思ったのです……子供扱いなど、しないで下さい」

 彼女は思うのだ。滂沱の涙を流しながら震える声で言われても説得力など皆無であることに気付いているのだろうか、素直が過ぎる、と。どうしてこれを見捨てることなど出来ようか、と。母の影を求めて彷徨いながらも本心を吐露しようと紡がれる、その言葉に応えたい、と。

「どうして、私を拾ったのですか」
「拾った、って」
 彼女は溜め息をついた。

「子供扱いをする気はないよ、最近忙しすぎて寝る時間がなかったから、人手が欲しいと思って、ね……私は寝たい、その間に働いて欲しい」
 さらりとそう言い切れば、若者の表情が当惑したものへと変わり、瞬きの回数が増える。

「……というのはまあ、半分くらい冗談だけれど、さっき言っていたでしょう、小さなものの扱いが得意だって」
「はい」
「見せて欲しいなと思った、だから雇う……拾ったわけじゃないよ……まだ、出来ないことも多いかもしれないけれど、それはその都度私が教えるから」
 彼女は腕を組んで若者と向き合った。見上げてくるその目からは、もう涙は零れていない。

「私は私の為に君に投資しようと考えている、これは契約だ、フィニエンス・クエルド……長いなあ、フィン、でいい?」
 当惑の中に喜びが見えた、若者の口角が僅かに上がり、何かを決意するかのようにその両手がぎゅっと握られた。

「はい、えっと、エレオノーラ殿」
「エラ、でいいよ、皆そう呼ぶ、あと、そんなに堅苦しくなくていい……お客さんの前ではさっきよりももう少しきっちりしている方がいいけれどね、よし、行こうか」
 彼女は欠伸を噛み殺しながら言った。

「何処へ行くのです?」
「店と、工房と、君の部屋」
 若者も立ち上がって視線を合わせてくる。涙の痕は残っているが、その顔に翳りは見られない。声も明瞭さを取り戻していた。

「住み込みなのですか?」
「まだ上の階が余っているからね……私としては居て欲しいけれど、近いなら、通いでもいいよ?」
「エラ殿のお側で仕事を見たいです」
 どうやら住み込みが良いらしい。積極的なのは良いことだと彼女は思った。

「わかった」

 二人は連れ立って調理場を後にする。湯浴み場の隣にある扉の向こうは階段だ、下に降りていけば酒場“碧森堂”の店舗である。そこを一通りぐるりと回って案内してから、先程まで居た階に戻り、調理場とは別の工房への扉を開けた。部屋の中に使い込まれた机が一つ、椅子も一つ。
 机の周りで、二人は今日引き取ってきた素材の整理を始めた。

「ここに住み込みなら、一杯食べて一杯運んで働くことになるから、きっと力もつくよ」

 金属屑の箱を持ったまま、若者は細腕を曲げたり伸ばしたりして、己の筋肉の様子を見ている。それを微笑ましく思いながら動かす魔石の箱の中に、彼女は術力の抜けた石を発見した。

「あ、駄目だ、これ……フィン、その辺に術力の抜けた魔石だらけの箱があるでしょう」
「廃棄するのですか?」
「そう、これだけ小さいと、術力を込め直すのは厳しいからね、私に術力があって、ついでに細かい操術が出来れば、これもすぐに直るのだけれど」

 指定の位置に箱を置いた若者が、何かあるのか、という顔で見てくる。彼女は肩を竦めて、机の上に乗っている大量の箱の内の一つを開けてみせた。小指の爪よりも小さい蔓と薔薇の紋が立体的に渦巻いており、その中心に、術力の抜けてしまった魔石が嵌まっている。
 若者が息を呑んだのが聞こえた。

「指輪……凄い、花弁の艶も蔓の細さも見事ですね、石の中の術式文字も歪みがない……これは、彫金から全部、エラ殿が?」
「そう、修理で戻ってきているのだけれど、魔石から選別し直し、術式文字の刻印もね……出来るだけ早く直してくれ、って、面倒な案件だけど」
 仕方がない、と溜め息混じりにぼやいて若者を見れば、何とも渋い顔をしている。

「この魔石、刻印もされているのですよね」
「え、そうだけど」
「勿体ないです」
 そう言うやいなや、彼女が止める間もなく、若者は聖句を唱えた。

「精霊の思し召しの下に、このものに土の加護を与えたまえ」
「えっ」

 その指先がざわめき、組成が崩れ、骨や肉、体液までもが歪み、うねり、一本の蔓となる。大地のような濃い茶色と血潮の紅が混ざって複雑な蔓模様の光を描きながら、箱の中に触れた。それが収束して若者の指が元に戻る、我に返った彼女が慌てて手に取ってみれば、指輪に嵌め込まれた魔石には燐光が宿っていた。刻印にも問題はない。

「これで、使えませんか?」
「びっくりした……いや、最高だよ、制御も操術の細かさも……本当に助かった、有難う」
 これでまた寝る時間が増えた、などという言葉を危うく出しそうになったが、彼女は堪える。若者は誇らしさと嬉しさが綯交ぜになった表情を見せた。

「……認めて貰えてよかったです」

 予備の魔石刻印棒と金属に使える彫刻刀数本を手にしてから、彼女は若者と共に上階へ向かう。三階の部屋は屋根裏部屋だ。床は板張りで、屋根の上に出られるグランス鋼の窓が付いており、雨季に雨水の侵入を防ぐ魔石動力装置が取り付けられている。見上げれば、首都の明るい空に、膨らみゆく月が輝いている。
 階下に掛け布と敷布団が余っていたので、二人はそれを運び込んだ。

「寝台はまた今度注文するから、当分それで凌いで欲しい……もしも寒かったら掛け布ぐらい追加出来る」
「有り難い……いえ、有難うございます、エラ殿」
「あと、これ」
 彼女は魔石刻印棒と彫刻刀を手渡した。そして、柔らかい鋼の屑も。

「彫刻刀はわかりますが、これは?」
「魔石刻印棒だ、これで術式文字を刻む、先に君の分を渡しておこうと思ってね、失くさないように……あと、本題はこっちだ、成形しやすいシヴォライト鋼の屑をあげるから、明日私が起きるまでに何か作ってみて」
 受け取った鋼の屑を色々な角度から眺めて暫く、月光の下に、若者は得意げな笑みを浮かべ、頷く。

「造作もない、必ず、エラ殿の気に入るものを作ってみせます」
 その言葉に満足して、彼女は宣言した。
「よし、じゃあ私は寝る、君も良い夜を、フィン」


 ふと意識が浮上して目を開くと、そこに広がっているのは見知った天井である。
 背中の感触は柔らかい敷布団だ、寝台で眠ることが出来た喜びを噛み締め、彼女は起き上がった。眠気や頭痛は一切なく、思考に澱みもない。若者を迎え入れて屋根裏部屋を簡単に整えた時点でまだ夜更けだったと記憶しているが、時刻盤を見れば、ちょうど昼六の刻――夕方だ――を指している。相当疲れが溜まっていたのだろう、ほぼ一日中眠っていたようだ。

「やってしまった」
 彼女は頭を抱える。それと同時に、何かを焼くいい香りが漂ってきていることに気が付いた。
 もしかして、と思いながら寝室から出て調理場の扉を開けると、果たして、そこにあったのは、調理台で幾つもの鍋を火にかけながらてきぱきと動く若者の姿。

「フィン?」
「今起きたのですか?」
「うん」

 彼女は室内に充満するいい香りを吸い込んだ。周囲を見回して気付く、机の上に見慣れぬ小さなものが鎮座していることに。

「昼の間に、父上に伺いを立てに行っていました、ここで働くことについては何も問題ないそうです……あと、竜角羊の煮込みと焼き飯を作ったのですが」

 若者は、食べますか、と問うてくる。だが、彼女は机の上のものに気を取られていた。
 竜だ。シヴォライト鋼の白銀の輝きを放っている。
 顔を近付けてよくよく見れば、鱗の一片一片までが、写実的に彫り込まれていた。頭には三対の長さの異なる角、目は凛々しく優雅に細められ、四肢は全て机の木目を掴んで危なげなく立っている。しなる尾は三叉の棘を持ち、翼は背に畳まれていたが、今にも両翼を拡げて飛んでいきそうだ。
 その精緻さに、彼女は息を呑んだ。

「……フィン、これ、まさか、君が?」


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