刻印師の拾いもの ~第2話~

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作者:久遠マリ

中央行政区、裏路地に存在する酒場“碧森堂”には裏の品書きが存在する。護身用の装飾品だ。革命後の混乱する社会の中で職や土地を失った元帝国貴族達と取引を行うのは、一人で店を切り盛りする女主人のエラ。多忙を極める彼女は、ある日素材の引き取りに赴いた先で、その場に似つかわしくない人物と出会うのだが……


◇◇◇


「ああ、エラちゃん、いいところに来た!」
 ずんぐりどっしりと腹の出ている問屋の店主だったが、体格に似合わない速度で振り返り――風の術でもその身に纏っているのかと思う程だ――彼女の姿を認めるや否や、逃さぬとでも言いたげな表情で大声を出した。

「いいところって、私が役立つのは酒と料理と装飾品だけですよ?」
「いやあ、ねえ、酒場の女店主さんなら」

 触れられる距離まで彼女が近付くと、店主は意味ありげな視線を横へやる。酒場の女店主だから何だというのだ、と思いながらも、店主の目を追いかけると、視界に入るのは不満そうな表情。

「何でもいいから働きたいって言うのさ、でもちょっとね」
「エラというのか、無礼ではないか、私が話しているのだぞ」

 店主が囁いた瞬間、若者の尊大な声と鼻を鳴らす音が被ってきた。成程これでは雇うと言い辛いものがあるな、と彼女も思う。
 薄い紫色の目は二重で印象的だ、彼女と同じくらいの高さの双眸は此方をじっと睨んでくる。つん、と威嚇するかのように上がった顎には、剃り残しだろうか、僅かに砂色の髭。それよりも少し薄い色をした艶のない髪には柔く癖が付いていて、角の少ない輪郭をぱさぱさと縁取り、うなじのあたりで纏められている。組んだ腕や七分丈のズボンから覗く脚は年頃の青年にしては細く、胴や二の腕を覆う羽織の裾には金糸で刺繍が施されているが、所々ほつれている。海色の胴着は海藻が漂う潮溜まりのような模様に見えたが、それは何らかの液体が染みた汚れだ。
 いかにも、言葉遣いと見てくれは元貴族であるが、それにしては、清潔を好むシルディアナの首都の住人らしからぬ有様である。

「不躾な目つきだな、私の話を聞いておるのか」

 物言いが少々癪に障る。相手を眺め回しながら、不純物の含まれていない金属を打つようによく響いて通る綺麗な雄の声だなあ、などと、夕刻の中、彼女は薄く眠気が頭を覆う中でぼんやり思った。

「エラとやら、返事をせんか」
「……これは失礼しました、元、お貴族様で?」
 我に返って彼女がそう言った瞬間、相対する若者の眉間に皺が寄る。

「落ちぶれたなりだと馬鹿にしているのか、下級ではあるが、私は土の術を扱う杖貴族の五男であるぞ、中等学舎も良い成績で卒業した」
「いえ、そんなつもりは……革命の後は、貴族や平民などはなく皆平等である、と言われたものですから……それに、高貴なお顔立ちだと思いましたので」

 彼女は、自分の店にいる時のように少々大袈裟に首を振って微笑んで見せた。しかし、それは余計に相手を警戒させたらしい。上がっていた顎と共に、若者の身体が半歩引き、その声が低く石畳の上を這った。

「酒場の女店主か、何故そんな者がここにおる、鍛冶屋通りであるぞ、怪しいではないか」
 碌な目に遭っていない者の反応だ、と彼女は思った。怪しいと素直に表現するあたり、まだ年齢を重ねていないことも伺える。ついでに言うと若者の方が余程怪しいが、口には出さない。

「間違いではないですよ、私は国家公認資格の彫金師ですし、魔石刻印師でもありますから」
「……魔石刻印師?」
「あら、ご存知ではない? でも、彫金師はご存知なのですね」
 若者の目に夕焼けの紅が反射して、数度、瞬いた。彼女が首を傾げると、彼は同じ方向に首を傾げてくる。

「彫金師ならばわかるぞ、学舎で聞いた……まあ、そのようなものがなくとも、私には小さなものを上手く扱える自信がある故、資格など取ってはおらぬが」

 若者は腕を組み直し、再び、つん、と顎を上げて、合間に鼻を鳴らしながら何処か得意気に言い放った。若いなあ、と彼女はまた癪に思いながらも、決して態度や声には出さない。その代わりに言うのは別のことだ。

「小さなものを扱われるのですか、是非、拝見したいですね」
「……なんだ、鍛冶屋通りには、話のわかる者もいるのだな」

 若者は神経質そうに周囲を見回しながらも、安心したような声を出す。口角と、組んだ腕が、少し緩んだ。これならば大丈夫かもしれない、と彼女は思い、微笑む。おそらく、慣れていないだけだ。

「お褒めに与り光栄でございます」
「……馬鹿にしているわけではないぞ」

 些か頼りなげな声と不安そうに揺れた柔な光を宿す紫の瞳が、彼女の庇護欲を甘美に突いてきた。若しかすると良い拾いものかもしれなかった、見過ごすには惜しい。
 何より、彼女は積み上げられた仕事と一人で向き合うのに限界を感じていたところだ。

「成程ね……ティオさん、いつもの、お願い出来ますか?」
 呼べば、問屋の店主は、集合住宅となっている店舗の広い入り口の横を指差した。

「ああ、いつも通り取り分けてあるよ、今日は合金屑や魔石の破片がかなり出てね、おまけも一杯だ、ほら」

 魔石は属性別でそれぞれシヴォライト鋼で成形された箱の中に仕分けられ、鋼の屑は仕切りのある大きな木箱に分けて入っている。この量を運ぶには車輪のついた台が必要だ。尤も、彼女は元々それを借りるつもりでここに来たつもりだったが。
 ちらりと若者を見た、怪訝そうな表情をしている。彼女は早く帰りたかった。

「……時に、ここに働きたいと仰る方がいると聞いたのですが」
 その肩がぴくりと跳ね、組んでいた腕がほどけた。

「若しや、貴方様でお間違いない?」
 首を傾げて問えば、途端に若者は狼狽えだした。

「私を、雇うと言うのか……私を?」
「ええ、申し遅れましたが、私の名はエレオノーラ・ペレウス、中央行政区“碧森堂”にて酒場と装身具店を営んでおります」

 彼女が右手を左肩に掛けて僅かに屈む貴族式の挨拶を行うと、我に返った若者は、同じように貴族式の挨拶を寄越してきた。

「フィニエンス・クエルドという、クエルド家の五男だ」
「私が雇い主となることに異存はありませんか?」
「構わぬ……いえ、構いません」

 まだ腑に落ちていないようだ、声も目も揺れている。それもそうだろう、突然降ってきた打診なのだから。申し出に対して戸惑う程に断られ続けてきたのだろう、と、彼女は哀れに感じた。

「わかりました、有難うございます……では、早速店に行きましょうか」
「……良いのか、いえ、良いのですか?」
「その前に」
 彼女が魔石と金属屑のぎっしり入った重そうな箱を一瞥すれば、若者の視線も首と一緒についてくる。

「ちょっと順番が違うけれど、初仕事をお願いしたいのです、店まで」
 若者の顔が引き攣った。

 ほっとした表情の問屋の店主に見送られながら二人は鍛冶屋通りを後にする。時々振り返って確かめれば、若者はしっかりついてきていたので、彼女は安心した。
 店に到着して彼女の部屋で荷物を下ろした時、既に日は暮れていた。
 取り繕う必要はもうない、彼女はふう、と溜め息をついた後に、寝起きの調子で言った。

「素材を一つも落とさなかったから初仕事は大成功だ、おめでとう」
「――良い、運動でした」

 その場に蹲って荒い息を落ち着けようとしている若者は、息も絶え絶えにそのようなことを言った。汗だくだ。彼女は頷いた。

「よし、脱ごうか」
「えっ」
 ぎょっとした双眸が見上げてくる。

「ここ私の部屋だから、取り敢えずその汚れた身体をすぐ洗ってきて、はい、脱ぐ」
「そのような、はしたない言い方をするな、いえ、しないで下さい――」

 是非はない。するのだ。
 悲鳴を上げながら恥じらって嫌がる若者の服を手早く全て剥ぎ取り――細っこくて非力であったので、それは容易であった――白く滑らかな肌をした身体を湯浴み場に放り込み扉を閉め、抜け殻を全て洗濯物籠に押し込んで、一息ついた。用意する着替えは全て女物だが背に腹は代えられない。湯浴み場の扉の外に置いてある棚の上に清潔な一式を置き、すぐ横の調理場に入った。ここからが本番だ。
 生き物は、腹が減っては動けない。
 深緑色の鐘胡椒の実、赤く艶のある珊瑚樹の実、様々な植物の葉を磨り潰した香辛料、シルディアナ首都郊外にある外港で揚がる盾蟹の身と暗い色をしたラフィミール貝、首都東湿原産の米。水魔石動力を組み込んだ冷蔵保管箱から食材を出し、米と貝以外を小刀でさっさと一口大に捌く。火魔石動力つきの調理台の上で火にかけた底の浅い鍋でオレイア樹の実の油で具材を軽く炒め、米は生のまま投入し、ラフィミール貝を殻付きのまま上に置き、水を一定量入れた。適当に混ぜて蓋をし、暫く放置。
 半刻後、手抜きの海鮮炊き飯のいい匂いが部屋中に溢れてくる。ちょうど左側にあった湯浴み場の扉が微かに音を立てて開いたので、彼女は振り返って言った。

「さっぱりした?」
「……何か、布を、貰えないだろうか……貰えませんか」

 扉に半分隠れたまま律儀に言い直す若者の姿に、色々と可笑しくなって思わず笑いながら、彼女は湯浴み後用の大きな柔らかい布を渡した。

「服はすぐそこの棚の上」

 底の浅い鍋の中の炊き飯はもう間もなく出来上がる。湯浴み場から服を着て出てきた若者は、濡れ髪のまま、所在なげに彼女の後ろに立ったり、手元を覗き込んだり、周囲を見回したりと落ち着かない様子だ。

「そこに座って」
「……はい」
 彼女が丸い机と一脚しかない椅子を顎で示せば、若者は素直に従った。熱や術力を通さないシヴォライト鋼の鍋敷きの上に鍋を乗せてその机の真ん中に置けば、ごくりと鳴る、嚥下の音。
「どうぞ、鍋ごと君の分だ」
 彼女はスプーンを差し出した。

「……大地の精霊王がもたらす恵みに感謝を」

 若者は差し出されたスプーンを躊躇いがちに受け取り、大地の精霊王に捧げる聖句を唱え、鍋の中でまだぼそぼそと呟いている海鮮炊き飯を見つめ。それから、意を決したように一匙掬って口の中に放り込んだ。

「あ、熱い」
「ゆっくりでいい、大丈夫?」
「……熱い」

 炊きたてだから口内を火傷したのだろうか、口元を押さえる若者の薄紫の両目がみるみるうちに潤んでいく。やがてぽろりと零れた涙は一粒だけではない、胴着や羽織の上に次々と雨のように落ちて、その表情が崩れるのは一瞬だった。

「……美味しい」


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