二代目賢者の参考書~第十話~


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作者:冴吹稔

 平凡な現代青年が、異世界に放り出されて幾星霜――
 現代知識を用いて辺境の領地を富ませ、賢者として名を成した彼、シンスケ・マガキは、その人生の終わりに二つの遺産を残した。
  彼の知恵を書き留めた一巻の書物と、彼の名を継ぐみなしごの少女、メリッサ・マガキ。
 シンスケはメリッサに託す。一人の知恵と力では、なし得なかった改革を。世の中の機が熟するまでは、おおやけにできなかった更なる知恵を。
 養父の仕事のその先へ進もうとする少女と、彼女を理解し援助の手を差し伸べる若き女領主の、奇妙な戦いが幕を開ける。

第十話「不思議な青年」


 伯爵領を出発して数日。フェリクスは馬で街道を南へ進んでいた。あと一日もあれば司教座のあるレンウッドの街に入れるだろう。

 鞍に着けた革袋を取り、水を一口飲む。ひどく暑い。彼は照り付ける太陽にうんざりしながら、葦毛の愛馬をやや速めの並足で歩かせていた。本当ならもっと急ぎたいが、この暑さでは馬に無理をさせられない。

「よし、よし……もうちょっとの辛抱だぞ、カイヤール。この先に農家があったらそこで水をもらおうな」

 愛馬に優しく語りかけながら、彼は注意深く周囲を見まわしていった。街道沿いに民家はごく少ない。現在のバルドランドでは、主要街道は農村の所在地をつなぐような形にはなっていないのだ。
 少し離れた土手の上で、若い男が一人寝転んでいる。それに気づいて、フェリクスはわずかに警戒を強めた。

(なんだ? 盗賊の類ではなさそうだが……)

 よく見ると、男は正真正銘寝ているようだった。全体に質素に見える装いだが、丈夫そうな革長靴と腰に付けた護身用らしい剣、それに裏皮を使った茶色の胴着が目を引く。どちらかと言えば、その男の方がスリや追剥ぎを警戒しなければならないような塩梅だ。

「妙な男だな」

 声に出してそうつぶやいたフェリクスは、また馬を歩かせ始め――すぐにぎょっとして振り向いた。後方はるか彼方から、恐ろしい勢いで走ってくる一騎の人馬がある。とどろく蹄の音がフェリクスの耳を打った。

「おおい! おおい! そこの者、待ってくれ! 止まれ、とどまれ!!」

 ひどく切迫した声でその馬上の男が叫んだ。慌てて葦毛を道の片側に寄せる。
馬上の男は埃をかぶってはいたが、その身なりはごくきちんとしたもので、さしずめどこかの役人か何かであろうと思われた。城門の意匠が見て取れる特徴的な紋章がマントに刺繍されていて、鞍の後ろに立てられた竿の上には。小さな赤い旗が翻っていた。

(これは、急使の早馬じゃないか……!)

 どうにもよろしくない予感がするが、無視もできない。フェリクスは仕方なく、穏やかに返事をした。

「どうかされましたか」
 
 言いながらもすでに相手の様子は目に入っていた。げんなりさせられることこの上もない。
 この男の黒い馬はつぶれる寸前だ。口の端からは泡を吹き、眼が血走って足は痙攣している。

「すまん、まことにあいすまんが、そちらの馬を貸して欲しい。カライスからの急報を一刻も早くケーニクスハーフェンへ届けねばならんのだが、馬に少々無理をさせてしまってな。このまま乗り続けては死んでしまう。次の宿場までの替えの馬がいる」

「事情は重々お察ししますが、こいつは子馬の時分から世話をしてきた、私の大事な愛馬なのです。それにこちらだって旅を急いでる」

「頼む……ここで連絡が遅れれば、途方もない数の人命にかかわるのだ」

 そういって、早馬の男はそそくさとフェリクスの前に降り立ち、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。細かな模様の入った金箔押しのそれは、国王直筆のサイン入りだとわかった。

 ――勅許委任状。

 物資の徴発や宿泊施設の優先使用など、国内を移動する役人に最大限の特権と便宜を保証するお墨付きである。フェリクスも宮仕えの身、その書式と文面がまぎれもない本物であることはすぐさま理解できた。

「それを出されては仕方ありませんな、お貸ししましょう。ですが、誓って次の宿場までですよ。名馬というほどではないが、そいつに代りはいないんです。ちゃんと返してください」

「……ああ、誓って。この短剣を預けておこう、宿場の武官に伝えておく。それに、少ないがこれは礼だ」

 小さな革袋に入った金子と短剣を手渡され、しかたなく馬具の付け替えを手伝ってやる。男が乗っていた黒馬は、その間にぐったりと膝を折り地面にうずくまってしまった。

「礼を言う!!」

 急使は葦毛のカイヤールにまたがり一鞭くれると、瞬く間にけし粒の大きさになるほど遠くへ走り去った。

「これはどうも、ひどいことになったな……」

 かろうじてまだ死んではいない。だがこの馬がこのあと使い物になるとも思えなかった。革袋を開ければ中には数枚の金貨が入っていたが馬を買えるほどではないし、葦毛はあとで返すと言われた以上、おいそれとこの金を使うわけにもいくまい。

 ――災難だったな。

 後ろから不意に声を掛けられた。フェリクスは一瞬ぎょっとしたが、すぐに先ほどの昼寝をしていた男を思い出した。彼は寝ていた場所からこちらへと、いつの間にか歩いて来ていた。

「見てたのか……いつから?」

「うん、君らが馬具の付け替えをしているあたりからね。なかなかのお人好しだな、君は」

「勅許状相手に盾をついてもいいことはない」

「まあそうだ、仕方ないよな」

 そういうと、男は無造作にフェリクスの右隣りへやってきて、馬の上にかがみこむ。その横顔が目に入って、フェリクスははっと息をのんだ。

 ふわりとカールした栗色の髪に、くっきりとした眉。鼻と顎の先を結ぶ線の内側に収まった形の良い唇がわずかに開かれ、小さな白い歯が行儀よく並んでいる。 見まがいようもない貴人の容貌だった。一見質素な持ち物も、要所要所に金がかかっているのは先ほど見た通りだ。

(何者だ、この若者は?)

 そんな疑問を胸中で弄んでいると、男はさらに驚くようなことを言い出した。

「いい馬だ。殺すには惜しいな、助けるから手伝ってくれ」

「助けるって……」

 乗りつぶされた馬を助ける方法などあるものか。フェリクスはそう思っていた。だが、男は有無を言わせず彼に手伝わせて馬を運び、道沿いの木陰に寝かせた。

「どうする気だ」

 男はそれには答えず、馬に手を触れて荘重な古典語でなにやら歌うようにつぶやき始めた。


  草の折れざるごとく 骨もかく在らしめよ

  川の流るるごとく 血よ滞ることなかれ


 かろうじてフェリクスにも意味がとれたのはそんな一節だった。
 似たような詩句を続けて何組か唱えると、男は手に持った小枝で馬の頭から尾までをさらりとひと撫でした。その直後、フェリクスは信じられないものを見た。黒馬はゆっくりと立ち上がり、さも美味そうに草を食み始めたのだ。

「……何をしたんだ」

「何、ちょっとしたまじないさ。昔祖母から習った」

 フェリクスは驚きながらも、この男のやったことが持つ意味を考えた。

 これは「魔法」だ。この世にはそう呼ぶしかない不思議のわざが実在する、そのことはフェリクスも知っていた。だがその使い手のほとんどは、一種類か二種類のまじないを行うだけ。しかも、同じ術を使うものが複数いた事例は極めてまれだ。
 
 この男の「まじない」があれば輸送や連絡にどれほどの強みとなるか?
先ほどのようなときに、馬をつぶしてしまうこともない。宿場に替え馬を用意する費用も少なくて済む――そう考えて、フェリクスはなにやら背筋が寒くなるような感覚を覚えた。

 今日ここでこの男と会ったのは途方もない幸運なのではないか? 賢者の息女メリッサの件もさることながら、この男からも目を離すわけにはいかないのではなかろうか?

「……礼をしたい。もし方角が同じなら、一緒に次の宿場まで行かないか? 私はフェリクス・ベルクシュタインというものだ。とある領主に仕えている」

 男は気さくに微笑んでうなずいた。

「かまわないよ、どうせ当てもない旅だ。僕の名は、そうだな。コンラッドとだけ覚えてくれ。ふむ……この馬だが、どうするね?」

 治すだけ治しておいてその後どうするという考えもなかったものらしい。フェリクスはあきれると同時に、ひどく愉快になった。

「公用の馬だ。宿場まで牽いて歩こう。荷物くらいは積ませてもらっても構うまいが」

「いいね」

 悠揚迫らぬこの態度。しばらく世間話をしながら歩くうちに、フェリクスはすっかりこの青年、コンラッドに魅了されていた。


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