二代目賢者の参考書 ~第八話~


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作者:冴吹稔

平凡な現代青年が、異世界に放り出されて幾星霜――
 現代知識を用いて辺境の領地を富ませ、賢者として名を成した彼、シンスケ・マガキは、その人生の終わりに二つの遺産を残した。
  彼の知恵を書き留めた一巻の書物と、彼の名を継ぐみなしごの少女、メリッサ・マガキ。
 シンスケはメリッサに託す。一人の知恵と力では、なし得なかった改革を。世の中の機が熟するまでは、おおやけにできなかった更なる知恵を。
 養父の仕事のその先へ進もうとする少女と、彼女を理解し援助の手を差し伸べる若き女領主の、奇妙な戦いが幕を開ける。

第八話「王都からの便り」


 リンドブルム伯爵領――北の辺境であるこの地にも、夏の盛りが訪れていた。

 少し西へ回った午後の太陽が、草が丈高く伸びた街道をてらし、風が時折土ぼこりをまきあげる。その茫漠とした光の濃淡の中を、つば広の帽子をかぶった男が馬に揺られていた。
 速足で走る葦毛の馬は、丘のふもとにそびえる古い城へむかって軽やかに走っていく。城門の前にたつ門番の兵士が顔まで見分けられるようになると、男は帽子を手に取って頭上で大きく振った。

「門を開けよ! フェリクス・ベルクシュタイン、ただいま帰参いたした!」
 伯爵家の家令兼執事、クラウス・ベルクシュタインの長子であった。当年とって二十一歳になる美丈夫で、赤みがかった金色の髪。
 やや濃い色の顎髭で顔を縁取っているが、それがなければもう少し幼く見える事だろう。
ラッパの音とともに城門が引き上げられ、城は午睡から醒めたようににわかに活気を帯び始めた。

 数刻の後。
 フェリクスは旅装を解きさっぱりとしたいでたちに整え、女伯爵ウルスラの執務室で彼女と机ごしに対していた。

「長旅ご苦労だった。しかし、やはりもう羊毛はいかんか……」
「はい、殿。西のヒベルニア王国で近年大々的に羊の改良と羊毛の増産を始めておるのはお聞き及びかと存じます。安価でありながらなかなかに品質が良く……私も見本を手に取ってみましたが、確かに我が国のものに勝るとも劣らず」
「……それほどのものなのか。弱ったな」
 ウルスラ・リンドブルムは小さく吐息をついてうなだれた。羊毛は羊を殺すことなく定期的に富を生むことのできる産物だ。だが、金策としては安易で、それだけに競争相手が多い――多すぎる。
「はい。あれを突き付けられては、こちらもこれまでの相場の八割を提示せざるを得ませんでした。なお十分な収益ではありますが、いずれ先細りは避けられますまい」
「分かった。対応策を練ろう……して、そこに持っておるのは?」
「ああ、これは手紙でございます。カライスの港からこちらへ向かう途中で、ヨアヒム・ウッドと名のる旅の行商人から預かりまして。その、殿宛てであると」

 恭しく差し出す。ウルスラはその包みを見て眉をひそめた。羊皮紙を丸めたものではなく角形に折って蝋で封緘されたそれは、見覚えのある草木紙であったからだ。

「手紙を口実にここへ来れば、よしみを通じてやれたものを……よほど急いでおったのだな」
 膨れ上がる期待とともに包みを開いていく。この紙を書簡に使う者と言えば、差出人は明らかだった。
「それが、なんでも北のマルティンゲンに急ぎの荷物があるとかで。何かの折には訪ねるようにと申しておきましたが」
「ならば、よい……うむ、やはりこの手紙は王都からだ。メリッサ・マガキからの消息のようだな」
 ウルスラの顔がほころび、事情をよく知らないなりにフェリクスも安堵を覚えた。
「マガキ、といいますとあの賢者様の……」
「ああ、ご息女だ。いまは王都で書記をしているが――」
 手紙の文面に目を通し、時々声に出して読みあげる。フェリクスも遠慮がちにウルスラの脇に回って遠目で覗き込んだ。
「なんと……兄弟子に巡り合ったか」
 そこには思いがけない顛末が書かれていた。王宮特別顧問という要職にある、ギルベルト・フォン・グルデンなる男――最近耳にする機会の増えた名ではある――彼との協力で、一介の書記に過ぎないメリッサが王都の市場改革に手を加え、ゴミ問題を解決した、というのだ。
「孤児に仕事を与え、治安の向上にも貢献できた、とありますな……」
「ああ、たいしたものだ……なるほど、それで紙の増産が必要になるというわけか」
 賢者マガキがリンドブルムにくる以前、短期間ではあるが王都で活動していたことがある。彼の直接の功績とはならなかったが、いくつかの献策は廻り回って王宮まで届いた。
 その結果、今も兵士や役人にも読み書きのできるものは少なくない。こまごまとした命令を彼らに伝え、出先でも回覧させるためには、それを書面にまとめ携帯させることが最も効率的なのだった。
 そうなると、これまで以上に大量の紙がいる――羊皮紙では、到底足りない。
「増産させよう。幸いカンバ柳は成長が早い。枝を切って地面にさしておけばすぐ根付くし、二年もすれば立派な若木に育つ」
「あ、殿。それでしたら良いお話が……街道沿いのいくつかの村で、水路の拡張工事を計画しておりまして。予定地にはかなり広い柳の原がございました」
「そうか! 切り倒すようなら少し金を出しても引き取らせねばなるまい。その地の領主に嗅ぎつけられんようにせねばならんが……」

 手紙を運んだという、件の行商人でも探しだして代理人にあてるべきだろうか。メリッサの業績と声望を喜び、あれこれと打つ手に思いを巡らすウルスラだったが、一抹の不安が心に忍び込んでくるのも感じていた。

「……フェリクス。長旅から戻ったところであいすまぬが、今度は王都まで行ってくれぬか」
「おや。てっきり伐採した柳の買い付けを任されるものかと思っておりましたが……」
「いや。お前にはもっと重要な仕事を頼みたい。王都でご息女――メリッサ殿の身辺についていて欲しい」
「なんですと」
 身を乗り出すフェリクスに、ウルスラは背後の壁に設けた戸棚から、銀貨の入った袋を取り出して手渡した。冬に備えて外套の一着も新調しようかと考えていた分の金だが、背に腹は代えられない。
「少ないが、当座の路銀にしてくれ。ギルベルトとやらはおそらく、今後もメリッサ殿の知恵を借りようとすることだろう。あまり派手に動かれると、彼女をリンドブルムに呼べなくなりかねんからな」
 羊毛の商いには影が差しつつある。ならば、伯爵家の浮沈を握るのは、やはり紙の流通と――メリッサ・マガキなのだ。身勝手ではあるが、彼女を王宮などにとられるわけにはいかない。


* * * * * * *


 卵売りの女は、しばらくぶりに来た王都の市場を、浮きたった気持ちで歩いていた。城門をくぐってすぐに、卵が売れたのだ。ついでに持ってきた五羽の若い雄鶏も、ひっくるめて売れた。
 ほぼターレル銀貨一枚――村で質素に暮らす分にはひと月かけてどうにか使い切れる額だ。
 買ったのは、小さな荷車を引いた見覚えのある男と、こぎれいな服を着た役人風の男の二人組だった。

「都会の人は贅沢なんだねえ」
 一日つぶすかと思ったのに、これでは拍子抜けしてしまう。彼女は、それならばと王都のこの市場で、逆に買い物をして帰ろうと決めたのだった。
 懐にずっしりと銅貨を抱えていると、市場の景色が何と違って見えることか。
 赤や黄色の、名も知らない見事な果物が並んでいる。砂糖や蜂蜜で煮込まれた杏やイチジクが、まるで琥珀のようなツヤを浮かべててらてらと光っている。
 少し離れた場所には色とりどりの織物と、服地を切り取った後に出る端切れが、台の上狭しと積み上げられている。
 どちらを向いても目移りするが、さりとてあまり大きな買い物をできるわけでもない。
(そうだ。子供たちに何かお菓子でも焼いてあげよう……それがいい。だってまだ昼過ぎだもの)
 今日は日暮れまで残りの時間、子供たちと一緒にいてやれるではないか。彼女は自分の思い付きに嬉しくなってポンと手をたたいた。

 空になった荷車に干しアンズや砂糖漬けのショウガ、それにちょっとした端切れを積んで、女は家路を急ぐ。王都の西を流れるオルダニ―川が海に向かうその横を、街道は南へと延びていた。
 ふと足元が暗くなり、彼女ははっとして顔を上げた。
 河口の方から追い風に乗って、三本マストの大きな商船が、王都へ向かって滑るように川をさかのぼっていくところだった。船尾マストのてっぺんから舳先へ向けて、黄色い旗がたなびいている。

 それは午後の青空によく映えて、輝くように美しかった。