二代目賢者の参考書~第十五話~


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作者:冴吹稔

 異界から現れてバルドランド王国に知恵をもたらした賢者がいた。もと孤児の養女、メリッサは書記の仕事の傍ら、王都で二代目の賢者としての第一歩を踏み出した。
 彼女を協力者と見込んで期待を寄せる女伯爵、ウルスラ・リンドブルムは目付け役として家臣の一人フェリクスを王都へ派遣する。

 メリッサの兄弟子である特別顧問官ギルベルトもまた、彼女を片腕として師の遺した諸々の課題、難題に対処しようと、メリッサの囲い込みを図っていたからだ。
 
 だがそんな中、王国に思いがけない災厄が海から迫ろうとしていた。


第十五話「引見と謁見」


「われわれの言葉を話せるのか……」
 思わずつぶやいたフェリクスに、女は鋭い一瞥を向けた。
「巡礼者のふりをして何年かお前たちの種族の街で過ごした。必要だったのでな……だから、ここでお前たちだけの内緒話はできん。そう思うといい」
 気圧されてフェリクスは、女から視線を外した。
「や、約束しよう、私は暴れたりはしない」
「……僕も同じだ。約束しよう」
 そもそも二人に選択の余地はなかった。武器はとっくに取り上げられているし、前に食事をしてからほぼ丸一日が経過しているのだ。
 両足は足首のところで縛られたまま、手の戒めだけを解かれた。渡された椀には雑穀を――というよりは雑草の種を獣の干し肉と一緒に煮た、見慣れない粥状のものが満たされていた。

「悪くない味だ」
 コンラッドがそれを口に運んで屈託なく微笑むのを、フェリクスは内心驚きながら見ていた。大らかな男だとは思ったが、ここまで行くと度が過ぎはしまいか。

「私の名はペヌロン」
 女はそう名のった。
「一族の……お前たちの言葉でいうと「耳目」とでもいえばいいか、そういう役目のものだ」
 耳慣れない言葉の響きにとまどったが、フェリクスはどうにか理解した。外界の情報収集をするもの、ということらしい。

「つまり……斥候か」
「ああ、そういう言葉があるのだな? 覚えておこう。で、私はお前たちを尋問しなければならないのだ。できるだけ手荒なことはしたくないが、協力してもらえるか?」
「わかった」
 奇妙なことだが、ペヌロンを見ていると、フェリクスは主君である女伯爵ウルスラを連想した。目鼻立ちも背格好も違うのだが、二人にはどこか共通する感じがある。

「ふむ……では訊く。お前たちがあの村――ダネイヴとか言ったか、あそこに来た目的はなんだ?」

 拍子ぬけする思いだった。その程度のことで縛り上げられたのか。
 フェリクスはわめきたくなるのをどうにかこらえて、ゆっくりと返答した。
「……大したことではない。頼まれて、あそこの村長の妻あてに、縁者からの手紙を運んだ。それだけだ」
「それだけだと?」
 女が眉根を寄せた。その表情の作り方は、人間とさほど変わりがない。
「では……お前たちがダネイヴを出てから、森の中でお前たちの種族の者が忙しそうに動き出したのは、どういうことだ?」
「それは――」
 フェリクスは言いよどんだ。村人たちが動き出したのは、疫病の流入を防ぐために道路の監視を始めたからだ。だが、これはどう説明したものか?
「長老たちは、お前たちが我々の居留地を探し出して攻め込もうとしているのではないか、と疑っている」
「そ、それは違う……」
「では、なんだ?」
 こちらの事情を知られてよいものだろうか。迷いに口をつぐんだフェリクスをよそに、コンラッドがひどく無造作にペヌロンに斬りこんだ。
「僕たちの心を読んだんじゃなかったのか? ならその程度のことは訊かなくてもわかるかと思ったが」

 ペヌロンの表情がさらに険しくなった。そこにはどうやら動揺らしきものが現れているようだった。
「そうとも、心はすでに読んだ……お前たちが嘘をつくかどうか試しているっ……さあ、話せ!」

 これはややこしいことになった、とフェリクスは内心で頭を抱えた。
 おそらくフェリクスの言う通り、ペヌロンたちはこちらの明確な思考までは読み取れないのだろう。だが、それを指摘してしまえば相手の心証を害する。

 この女は、おそらく自分の実力以上の責務を背負ってしまっているのに違いない。こういう相手と話して身の安全を確保するには、難しい綱渡りが要求される。だが、とにかく何とかしてここから脱出しなければならない。

 真実を明かすしかあるまい。フェリクスは迷いながらも話し始めた。

「異国から、疫病がもたらされた。村人たちの動きはそれから身を守るためのものだ」
「む……疫病、だと……?」

 ペヌロンは身をよじってフェリクスから距離をとった。その動きにも、人間の女と変わるところはなかった。

         * * * * * * *

 ねっとりとまとわりつくような午後の日差しの中、メリッサとギルベルトは王宮の門をくぐった。門衛に取次ぎを求めると、さほど待たずに二人は衛兵の斧槍が並ぶ回廊へ導かれた。さらにそこを通り抜けて、磨いた石材を敷かれた、やたらと靴音が響く広間へ。

 奥の一段高くなった場所に、黒ずんだ色の古めかしい木製の椅子があった。真新しいベルベットの赤いクッションと対照をなす、歳月と人の手によって磨かれツヤの出た木肌。
それを確かめるように指を滑らせながら、長身の若い男が既に着席して二人を待っていた。彼はメリッサたちがまだ拝跪すべき距離に来る以前から、よく響く声で呼びかけてきた。

「やあ、ギルベルト。火急の用と聞いたが、例の疫病の件かな?」
「ご明察の通りでございます、陛下」
 ギルベルトが深々と膝を折り、こうべを垂れて答えた。

 ではこの方が国王、ウンベルト三世なのだ。メリッサは緊張でかすかに膝が震えるのを感じた。
 即位したのは確かつい数年前。先王の政策を大筋で継承しているが、若年ながら将来の名君と目されるその声望は辺境へも伝わってきていた。

「もしや、そこに控えているのが先日話していた――」
「はい。彼女がメリッサ・マガキ……かの偉大な賢者、シンスケ・マガキ様の養女にして最後の……つまり、わが妹弟子です」

「やはりそうか! 余の目もどうして、捨てたものではないようだな!」
 ウンベルト三世は胸の前でぱしっと手を打ち合わせると、玉座から――質素ながら、それは玉座だった――立ち上がって、メリッサたちのいる床の上まで降りて歩いてきた。

「メリッサとやら、先の市場における諸問題の解決見事であった……多くの者がかかわることになったゆえ、さしたる褒美を出すこともできなかった。心苦しく思う」
「いえ、陛下。それはどうぞお構いなく。今は差し迫った疫病の危機にこそ、お心を」
「む……そうだな。今日、余の前に参じたということは、なにか策があるのであろう……? 早速ですまぬが聞かせてくれぬか」

 王はさらに身を乗り出してくる。自分の間に合わせのみすぼらしい装いを思って、メリッサはわずかに唇をかんだ。だが今はそれどころではない。

「はい。まずはお訊きします……現在は、旅行者の身柄を押さえるために街道を監視しているのですね?」
「うむ、そうだ。そして新たな病人が出ないと分かるまで、だれも通すなと命じた」
 うなずく王に、メリッサは顔を上げてその視線をまっすぐに向けた。
「では陛下。私にご直筆の通行許可証を下さいませ。そして、若干の人手を。忠実な兵士を十名ほどと、以前の疫病を詳しく知る医師を何名か」
「医師は分かるが……通行証とはいったい? この王都で対策を練るのではないのか?」
「いいえ」
 街道を封鎖するのは正しい。だがそれだけでは王都もこの国も、長くはもたない。人と物の流れは、いわば血流と同じなのだ。縊って止めれば、腐り落ちる。

「街道を押さえるだけでは、疫病が自然に終息するまで待つ根競べになりましょう。残念ながら、そのままでは我々は勝てません。まずはカライスへ出向き、沖止めになっている貿易船の様子を確かめねばなりません」
「カライスへ!?」
 ギルベルトが悲鳴に近い声を上げた。
「それでは、まるで、疫病の巣窟へ行くようなものではないか。死んでしまうぞ!」

 メリッサもその危険性は分かっている。だが――

「これから行う策には、すでに発病している患者の観察が必要なのです。といって、新たに王都の周りで病人が出るのを待つようなことはできません。その時にはすでに、病気をその体内に抱えた人々が何倍もの数に膨れ上がっているでしょうから」

 人から人へ伝染する病気の多くは、実際に症状が出る前に患者の体に決定的な何かが起こっていて、それが水面下で進行していくらしい。そのくらいのことは長い歴史の中で、医師たちの共通の見解となっていた。

「カライスの船なら周りを水で隔てられていますから、周辺に病が広がることは防げます。そこで、発病した人とそうでない人の違いを確かめ、過去の疫病との比較を行うこともできます――新たな病人を待たずに」

「だが、それではメリッサ殿や医師たちは……」
「感染を防ぐ方法を早期に発見すればいいのです。いくつか、考えていることもあります」

 メリッサはこの時、頭の中にあるものを思い浮かべていた。東方で愛好される、ある種の薬草の煙を炊いて吸引するためのパイプだ。それは途中で水を満たした容器の中に煙を通し、体に不要な、あるいは害になる成分を漉しとるのだという。
 この世界でも、養父の故郷と同じような仕組みで病気が起こるのなら――薬草パイプの原理を応用して、病を防ぐことはできないか?

 だが、その時予想だにしない言葉が王の口から発された。

「ふむ……出発はいつになる? 私も同行するとしよう」