ナツメヤシ・麦 メソポタミアの農地が育んだ食文化とは

メソポタミア_農地

みなさんはパンがどこで誕生したかご存じですか? フランスなどヨーロッパのイメージがあるかもしれませんが、実はメソポタミアが発祥の地です。
『図解 食の歴史』(高平鳴海 著)では、古代から中世、近世までのヨーロッパを中心とした食べ物の歴史をイラストや図表を使いわかりやすく解説しています。今回はその中から、メソポタミアの特殊な農地が育んだナツメヤシと麦について見ていきましょう。

目次

メソポタミアの美食①塩分の多い農地とナツメヤシ

チグリス・ユーフラテス川流域は世界4大文明の1つだが、大昔は塩分の多い不毛の湿地帯だった。その上、河川が地上より高いところを流れる天井川であるため、増水期になるとすぐ氾濫し、低湿地帯を飲み込んで荒らしていった。 文明が築かれる以前の人々は川沿いの台地に細々と集落を造り、塩害に強いナツメヤシを栽培し、魚などを食べて生活していた。 『図解 食の歴史』p.14
チグリス・ユーフラテス川流域(現在のイラク周辺)では、7,000年も前からナツメヤシの栽培が行われていました。ナツメヤシは英語でデーツとも呼ばれる植物で、その実は現在でも中東を中心に広く食べられています。

メソポタミアでナツメヤシが好まれたのにはいくつかの理由がありました。
ひとつは炎天や塩害に強いことです。塩分の多い湿地帯のメソポタミアでは、栽培に向く作物は限られていましたが、ナツメヤシは塩害に強いため、果樹園が作られる程多く生産されていました。また、成長すると25mもの大きさになるこの木の陰を利用することで、タマネギ、ネギ、ニンニクなどの収穫を得ることもできました。

使い道が多いこともナツメヤシが好まれた理由のひとつです。ナツメヤシは樹皮から葉まで利用可能で、そのまま食べたりドライフルーツに加工し保存食にした他、酒の原料やシロップ、家畜の飼料などとしても利用されていました。現代でも、ナツメヤシの幹を建材や燃料にしたり、種子油を石けんや化粧品の原料にするなど、実だけでなく他の部位も利用されています。また、ナツメヤシは日本にも輸入されており、ソースや酢などの原材料のひとつとなっています。

メソポタミア_農地2

塩分の多い農地で麦の栽培、始まる

生活が激変したのは紀元前5500年ごろからのウバイド期だった。北部の山岳地帯から小麦、大麦、エンメル麦などの麦類の栽培が伝わったのである。1粒の麦は、生育条件がよければ60〜100倍もの麦を生み出す。特に大麦は塩害に強い上に貯蔵ができたことからメソポタミアの集落は豊かになった。また星の観測によって正確な農事暦も作成された。 『図解 食の歴史』p.14
チグリス・ユーフラテス川上流の山岳地帯では、古くから野生の麦が食べられていましたが、やがて人の手による栽培が始まり、その技術は川の下流地域まで伝わります。

メソポタミアでは元来、雨水に頼った農業が行われていましたが、農地を増やすべく灌漑(かんがい)農業が始まります。灌漑とは人工的に農地に水を供給することです。人々は川に堤防を築き、貯水池と水路を造って農地へと水を引きました。これにより作物の収穫量は安定し、メソポタミアの人口は増加。都市国家の誕生へとつながりました。

このようにして栽培された麦は、炒ったり、煮て粥やリゾットのようにして食べられていました。また、石でひいて粉にしたものを水で溶き、熱い石の上にのばしてクレープ状に焼き上げることも行われていました。これがパンの始まりです。

メソポタミア_農地3

メソポタミアの美食②パンの種類3選

麦の栽培をきっかけに、メソポタミアではさまざまな種類のパンが作られるようになりました。発掘された文献から、パンの種類は主に7つあったとされていますが、中には今のところ詳細不明のものもあります。ここでは本書を参考に3つのパンをご紹介しましょう。

ひとつめは無発酵パンで、前項でもご紹介した、生地を平たくのばして焼いたものです。こうした作り方のパンは現代にも存在しています。イスラエルのマッツァー、インド周辺のチャパティー、メキシコのトルティーヤなどがその例です。

ふたつめはパイのようなパンで、本書では次のように紹介されています。
何度も生地を折り返し、パイのようにしたパンも作られた。広い皿に生地を敷き詰めて焼き、肉料理の土台として使う料理法があったことが記録から分かる。下敷きパンの他に上蓋のパンも用意されており、肉料理をスープごと包み込み、温かさや肉汁を外に漏らさないようになっていた。現代でいえばパイの包み焼きのようなものである。 『図解 食の歴史』p.14
最後にご紹介するのは型ぬきパンです。ルーブル美術館には、当時パン生地を入れていた型などの出土品が展示されています。
最も一般的なのは陶器製の型に生地を詰め込み、かまどの上に並べて焼き上げるパンだ。現代の食パンの祖先に当たるが、当時は丸い皿型が主流で、魚や獅子などを象ったものもあった。外見を楽しむという意味では、タイヤキに似ているかも知れない。 『図解 食の歴史』p.14
このように、塩分の多い湿地帯だったメソポタミアの農地では、塩害に強いデーツや麦の栽培が行われていました。麦の栽培はパンの発明につながり、その製法は現代へと受け継がれたのです。

メソポタミア_農地4


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ライターからひとこと

古代の食べ物というと、何となく簡素で味気ないもののようなイメージがあるのは私だけでしょうか? しかしメソポタミアの食事をみてみると、ワイン、ビール、そしてパンなど、現代でも楽しまれている味の基となったものがいくつもあります。普段何気なく食べているものでも、歴史を知ると美味しさが増すような気がしますね。