歴史・時代ものを書く人必見! 日本人の髪型&髷の歴史

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侍や遊女、信長におかっぴき……時代小説や大河ドラマに登場する人々の多くはを結っていますが、ひとことでといっても様々な種類があります。時代ものや歴史ものなどの小説、漫画などを描かれている方にとっては、髪型の時代考証も大変な作業のひとつではないでしょうか。今回は、日本人の髪型の歴史を『図解 日本の装束』(池上良太 著)よりご紹介します。創作活動をされている方はぜひ参考にしてください。

目次

日本人の髪型の歴史~古墳時代の髷~

おそらく、わたしたちの記憶に残る日本最古のメンズヘアスタイルといえば、古代の神々定番の、あのスタイルではないでしょうか。
その名も「美豆良(みずら)」。あの耳の横で左右に分けて結ぶ髪型です。

美豆良は古墳時代のもので、記録に残る最も古い髪型ですが、出土した埴輪などから実在していたのがわかっています。
結んだ部分を肩まで垂らすスタイルは「下げ美豆良」、耳の上で結んだものを「上げ美豆良」と呼び、身分によって結ぶ位置が異なったようです。
やがて美豆良は、時代が下がるにつれて子供のものとなっていきました。

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一方、古墳時代の女性のヘアスタイルは、自然のままに後ろに垂らす「垂髪(すいはつ)」、もしくは頭上に結い上げた髪を潰した「潰し島田」でした。
というと、現在では男性のイメージが強い方もいるかもしれませんが、どうやら女性の方が早くからを結っていたようですね。

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日本人の髪型の歴史~飛鳥・奈良・平安時代の髷~

飛鳥・奈良時代になると、日本には大陸の影響が入り始めます。

美豆良に変わって男性の髪型になったのは、「髻(もとどり)」です。
これは冠を被るための髪型で、大陸文化の影響といわれ、髪を頭上で結うスタイルです。男性はこの頃から頭に被り物をするようになりました。
女性は、唐風の「宝髻(ほうけい)」、「双髻(そうけい)」になり、やはり主に垂髪とアップスタイルの2種類があったようです。

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平安時代に入ると、男性の「髻」は「冠下(かんむりした)」に変わります。
公家の成人男性などが結うスタイルで、束ねた髪を頭上で折り曲げ、先端を頭の上持ってきて、紫の紐で結びます。
武家や庶民などは「たぶさ髪」というスタイルで、毛先を垂らしていたようです。

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女性は服装の和様化に伴い、『源氏物語』などでお馴染みの、あの長い垂髪が定番になっていきます。
俗にいう「お姫様カット」と呼ばれるものは、高貴な成人女性の「鬢(びん)そぎ」です。 高貴な身分でも、少女の場合は、モミアゲ部分の鬢は伸ばします。
庶民の女性は邪魔にならないように、髪を短くして束ねたり、後ろで輪にして結っていました。 女性の垂髪のトレンドは室町時代まで続きます。

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日本人の髪型の歴史~鎌倉・室町時代の髷~

鎌倉時代になると、武家の男性ヘアスタイルには、いよいよ時代劇などでもお馴染みの「月代(さかやき)」が登場します。
頭頂の髪をなくす理由は、兜を被った際にのぼせるのを防ぐためだったようです。
しかもこれは剃るのではなく、なんと抜いていたのです。初めは臨時的なものであったようですが、戦乱の世が続き、常態化しました。

室町時代はシンプルな服装が好まれるようになり、武家や市民の間で、被り物をしない「露頂」が一般化します。この頃から、織田信長のイメージでお馴染みの、髪を根元から棒状に結い上げて毛先を房状にした「茶筅(ちゃせんまげ)」や、束ねて折り曲げた髪を頭に乗せる「折り」が多くなりました。

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垂髪ブームが続いていた女性のヘアスタイルといえば、室町時代後期になり、大きな変化を遂げます。束ねた髪を輪にして作る「唐輪(からわまげ)」など、装飾的に髪を結うようになったのです。
これ以降、女性の髪は4つパーツごとにわけて考えられるようになりました。つまり、前髪、左右の鬢、、襟足の髱(たぼ)と、現代の考え方に近づいたのです。

平安の公家や武家でもっとも格式高いとされたのは、「おすべらかし」や「お中」といった髪型でした。
鬢をハート型に左右に張り出し、長髢(かもじ)を後ろに長く垂らすヘアスタイルは、ひな人形をイメージするとわかりやすいです。武家ではこれを省略し、髪を笄(こうがい)と呼ぶかんざしに巻き付けた「片外し」、「しの字」、「おたま返し」が用いられています。

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日本人の髪型の歴史~江戸時代の髷~

といったら江戸時代、そういうイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。
しかし江戸時代のなかでも時期によって流行が異なり、スタイルは様々です。

まず江戸時代前期になると、髪を抜いて作られていた男性の月代は剃られるようになりました。月代は広く、横髪の鬢が狭いのがトレンドです。
また、元服前の少年は前髪を残し、女性的な「若衆髷(わかしゅうまげ)」も若者の間で流行します。

中期になれば、月代は狭くなって鬢を油で整えるようになり、さらにや鬢に様々な工夫がされるようになります。病的な雰囲気を持つ「疫病本多」というスタイルも好まれるようになりました。

江戸後期になると月代はさらに狭くなり、時代劇などでお馴染みの「銀杏髷(いちょうまげ)」が登場します。銀杏髷は武家と町人で異なり、たとえば紋付き袴を着た奉行所の同心は、横髪の鬢も襟足の髱もぴたっとしていますが、町人は鬢も髱もふっくらしています。 

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女性は、役者や遊女によって考案された「兵庫(ひょうごまげ)」や、「島田」といった髪型が流行していました。ただし、時代劇で見るような鬢や髱を張らせたものは江戸中期からです。この2種に加えて成人女性の「丸」を中心に、様々な種類のヘアスタイルが生み出されました。

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江戸時代後期には、紙で補強し、髪油で固めた「灯籠鬢(とうろうびん)」なども登場します。しかし明治時代になると、次第にこれらは廃れて、地味で実用的なヘアスタイルに変わっていきます。
そして男性も断髪令により、西洋風の髪型へと以降してゆくのです。

以上、日本の髪型との歴史について簡単にご紹介しました。


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ライターからひとこと

これだけ長い時代、とともにあった日本人が、今日ではめったに本物の姿を見ることさえできないのはとても淋しいですね。
しかし浅草や京都などで見かける芸子さんや、お相撲さんを見かけると、まるで架空の世界かのようなかつての日本が、現代にも確かに受け継がれているのだ――と、ふしぎな感動につつまれます。
本書には、日本の装束について様々なものが紹介されています。創作活動の参考にするとともに、ぜひ在りし日の日本に思いを馳せてみてください。