ひな人形はなぜ平安の衣装? 装束を知る鍵は「有職故実」!

平安装束_有職故実

「十二単」って言葉は誰でも知っていますよね。「どんなのだっけ?」と思う人も、「皇族のご成婚ニュースで目にする和装」「おひなさまが着てるの」と言われればピンと来るはず。
でも、ちょっと待ってください。天皇家の歴史は長いのに、なぜ平安期の十二単が特別視されているのでしょう? ひな人形は、なぜ着物より十二単がポピュラーなのでしょうか? その答えは「有職故実」という、いかめしい言葉の中にひそんでいます。この言葉を知れば古代人の心情や、歴史と服飾の関係、伝統が今も生きている理由が見えてきますよ。
今回は『図解 日本の装束』(池上良太 著)より、有職故実についてお話します。


目次

①そもそも装束とは? 日本の服飾史をパッとおさらい♪

装束とは、装うことやその衣装を意味する言葉です。和装全般を、扇や冠などの小道具も含めて表す言葉なのですが、ただ「装束」と言った場合は、平安朝の公家衣装を指すことがほとんどです。 なぜ平安期……という疑問には後で答えますので、まずは装束の歴史をざっと見ましょう。

古墳時代までの有史以前には、男性は袴を足結という紐でくくり、女性は領巾という布を羽織っていたようです。飛鳥時代になると、中国の宮廷衣装と制度が輸入されました。身なりが身分でギッチリ規定される時代の始まりです。

中国式衣装はやがて日本の気候・ライフスタイルに合わせて変化し、十二単など平安装束になります。国風文化の成熟と言われる現象ですね。平安中~後期にピークに達しました。
続く鎌倉~江戸は武士の時代です。直垂など庶民の活動的な服が浸透し、次第にゴージャスになって武士の正装となりました。

女性も、もとは下着だった小袖が着物へと育っていきます。一方で平安文化へのあこがれも強く残り、衣装の研究や復興が試みられました。

明治は西欧の影響を受けた時代です。洋装が礼服となりましたが同時に日本のアイデンティティも意識されるようになり、国風文化全盛期である平安時代の衣装が礼装認定されました。そして今も皇室や神社、雅楽、ひな人形などに、第一級正装として生き続けているのです。

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②「装束」と言えばコレ! 平安衣装の具体的なアレコレ

後世に強い影響を与えた平安装束、厳密に言えば平安中~後期の宮廷衣装は、どのようなものだったのでしょうか? 

まず男性の基本は、かぶり物です。成人男子の露頂(頭をさらすこと)は大恥でした。TPOに合わせて冠または烏帽子を着用します。
男性の礼装は束帯です。冠をかぶり袍と呼ばれる表着を着て、笏という板を持ちます。袍は法律により色や紋様が厳しく定められていました。大ざっぱにいえば上流貴族が黒色で紋あり、五位が赤色で紋あり、六位以下がブルーで紋なしです。武官は動きやすいなりが原則で、脇の縫われていない袍をまとい、冠の纓を巻きあげました。ただし時代はのどかな平安の世、武官の出番は戦いでなく舞でしたが。

男性の日常着は直衣と狩衣です。直衣が脇を縫った室内着なのに対し、縫っていない狩衣は外出用でした。私的な服なので色は自由、かぶり物もカジュアルな烏帽子です。しかしどちらの服も次第にオシャレ度が増し、特に直衣は、許可をいただき冠をかぶれば宮中でも着ていい礼装になりました。それにつれ色や紋などのルールが多少生じています。

女性服には法令があまりありません。「女房」と呼ばれる侍女たちがセンスを競い合って、「女房装束」俗にいう十二単を進化させました。その特徴は、薄い衣を何枚も重ね着した五つ衣です。唐衣という上着と裳という腰覆いを着けて、フォーマル感を出していました。
日常着は、女房装束から唐衣と裳を省略した「小袿姿」です。「細長」という服もありましたが、童女や若い姫の着料だったらしいことしかわかっていません。また女房装束以上の正装としては、髪飾りや帯を追加した「物具装束」があったようです。

③有職故実とは ~平安の影響は平成の世にも~

「有職故実」とは朝廷や武家に伝来する、儀式や服装等についてのマニュアルです。それを研究する学問のことでもあります。平安中期の上流貴族・藤原忠平の日記をその子孫らが継承し、小野宮流・九条流という流派にしたのが源流だとされています。

有職故実は複雑化していき、儀式、官制、装束に細分化しました。装束については平安後期、柔らかい「柔装束」が硬くて着にくい「強装束」に変化した頃に、専門の着装体系「衣紋道」が発生。大炊御門流・徳大寺流の2派が生じ、後に山科流・高倉流となっていきます。

武家の方でも伊勢流、小笠原流などの流派が生まれます。しかし、有職故実の中心は何と言っても平安時代の公家文化。なぜなら有職故実そのものが、もともと平安期に生まれたからです。平和だった「王朝時代」を理想化する風潮もありました。武家はあこがれをこめて、政権を失った公家は武家への反発と伝統への誇りをもって、有職故実を研究・継承しようとしたのです。

この動きは江戸時代中期に特に盛りあがります。太平になって古典を学ぶ層が広がったことや、国のアイデンティティを意識する「国学」の隆盛が影響したのでしょう。平安時代の儀式や服装が研究・再興され、江戸時代の好みをブレンドした形で、同じころ盛んになった「おひなさま」に採り入れられるなど定着していきます。今日に残る有職故実は、この江戸時代に再興されたものをベースとして、明治期に確定されたものがほとんどです。

④有職故実の華 重色目と有職文様

有職故実のメインが平安時代なのは、平安カルチャーのハイレベルさも要因の一つです。ここでは、後世の人を魅了し続けてきた、「重色目(かさねいろめ)」と「有職文様」を紹介しましょう。

まず重色目。広義には、薄い絹地を重ね着したときに透けたり映り合ったりして現れる色合いのことですが、狭義には五つ衣のグラデーションを意味します。平安の貴婦人たちが感覚をとぎすまして重ね方を考え、花など雅な名をつけて着慣らしていた組み合わせが、定型化されて今日に残っているのです。今の感性だと「なぜ赤と白が桜重ね?」などと思うかもしれませんが、当時を再現した暗い室内、またたく灯火の下で見ると本当に桜の精のように見えますので、ぜひ展示会等でご覧ください。

紋様は、地紋、丸紋、二陪に大別されます。地紋は生地全体を覆う総柄の模様、丸紋は飛び飛びにつけられた丸い模様、二陪はその両方があるゴージャスな模様です。意匠は古代に中東から伝わってきた歴史的なものもあり、シンプルさとデザイン性、規則性が特徴です。

色にも紋様にも規定があります。特に、黄櫨染という黄褐色と桐凰麒麟の紋様が天皇にのみ、黄丹色と?紋内に鴛鴦という紋が皇太子にだけ許されるということは、絶対的な決まりです。

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本書で紹介している明日使える知識

  • 有職故実とその歴史
  • 有職文様
  • 重色目
  • etc... 

ライターからひとこと

本書は日本の服飾史を古代から現代までまとめた一冊。1項目を見開き2ページで解説していて、左ページが文章、右側がイラストと、視覚的に理解しやすい構成です。庶民の服についても触れています。 十二単って、意味なく現存する訳じゃないんですね。和の装束は中国から採り入れたものが国風化され高められたもので、優れた品だからこそ守り継ぎたいと「有職故実研究」が続けられ、乱世を越えて今に伝わっているのです。
服飾史って知れば知るほど、歴史と今とのつながりが感じられて胸が熱くなりますよ。