罪人はどうやって裁かれた? 中世ヨーロッパの法律と歴史

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罪を犯せば警察に捕まり、裁判を受けて懲役刑などの刑罰を課せられる――現代では当たり前のことですが、警察も裁判所もない中世の時代、罪人はどのように裁かれていたのでしょうか。 『図解 中世の生活』(池上正太 著) は、中世ヨーロッパの人々の生活に焦点を当て、制度や施設から食事や衣服といったリアルな暮らしの実態まで、丁寧に解説しています。 今回はその中から、中世法律について取り上げ、罪人がどのように裁かれていたのかを時代ごとに考察してまいります。

目次

中世の法律と歴史①中世初期の部族法典

中世初期の時代、西ヨーロッパを実質的に支配したゲルマン人たちは、それぞれの部族の「部族法典」を裁判の根拠としていた。 『図解 中世の生活』p.28
ゲルマン民族の大移動をきっかけに、西ローマ帝国に入りこんだゲルマン人ですが、時とともに彼らは少しずつローマ化していきました。ゲルマン人たちはもともと、彼ら独自の慣習法を持っていましたが、その慣習法もしだいにローマの法律の影響を受け、「部族法典」として取りまとめられていきます。
部族法典は部族ごとに内容が異なっていました。しかしいずれも共通して、罪を犯した者は贖罪金を払うことで罪を贖うことができるという趣旨になっていました。罪の重さに応じた金額を支払うのです。裁判では、被告が属する部族の部族法典が適応され、判決発見人と呼ばれる裁判官により判決が下されます。判決発見人は自由人が務めていました。自由人とはゲルマン民族の階層のひとつです。当時のゲルマン民族は貴族、自由人、不完全自由人(解放奴隷など)、奴隷の4階級に分かれていました。

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中世の法律と歴史②フランク王国のサリカ法典

ヨーロッパの覇権を握ったフランク王国は、よりゲルマン色が強くローマ・ カトリック教会の思想を反映した『サリカ法典』を用いている。また、『国王罰令』を定め、平和、行政、勅法の3 種に反したものを罰している。 『図解 中世の生活』p.28
フランク族もゲルマン民族の一部族です。フランク王国では、5世紀後半にクローヴィスが即位しメロヴィング朝が成立すると、部族法典のひとつである『サリカ法典』が作られます。フランク王国はしだいに勢力を拡大し、特に800年にカール大帝が即位した後は、ローマ帝国の後継国としてヨーロッパの覇権を握ることとなりました。

『サリカ法典』も他の部族法典や法律と同様に、罪を犯した場合の贖罪金についての規定を細かく定めています。フランク族はキリスト教に改宗していたため、その内容はローマ・カトリック教会の影響をより強く受けたものとなりました。 また、新たに『国王罰令』が定められました。これは社会秩序や平和の維持を目的に、聖職者など特定の人や場所、財産などを国王の保護下におく権利、国王が新しく勅令を定める権利、国王罰令に違反した人を処罰する権利の3つを新しく定めるというものです。この『国王罰令』は、中央集権のための統治手段として使われました。

フランク王国では、裁判は2種類に分かれていました。それまでの自由人による裁判の他に、大事件を担当する国王裁判所が設けられたのです。

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中世の法律と歴史③神聖ローマ帝国

フランク王国崩壊後、法制度は更なる混迷を見せることになった。 『図解 中世の生活』p.28
一時はヨーロッパの覇権を握ったフランク王国ですが、やがて分裂し、力を失ってしまいます。この分裂をきっかけに、カペー朝(フランス)と神聖ローマ帝国(ドイツ)が誕生しました。政治的混乱が続く中で法律や法制度も混迷し、合理的で画一化された法令が定められることはありませんでした。 この時代、裁判でどのような法が適応されるかは住んでいる地域や身分によって決まりました。
神聖ローマ帝国を例に取ると国家的事案には帝国法が、地方領主の勢力下であれば帝国の一般法とも言うべきラント法、農村では荘園法や農村ごとの慣習法、都市では商人法や都市法が適応される。また、宗教的罰には、教会法のカノン法が適応された。 『図解 中世の生活』p.28
神聖ローマ帝国では、裁判は重犯罪を扱う上級裁判と、軽犯罪を扱う下級裁判とに分かれていました。フランク王国では自由人が判決発見人(裁判官)を務めましたが、神聖ローマ帝国では皇帝や王、領主やその配下の役人が裁判官となりました。
しかし裁判は必ずしも公正で合理的だったとはいえません。判決がまとまらない時は、被告を水の中に投げ込み水面に浮かんでくるかどうかで判断したり、焼けた鉄を握らせてやけどするかどうかで判断したりするといった神明裁判が行われていました。

また神聖ローマ帝国では、皇帝によってラント平和令が発布されました。 それまでの中世ヨーロッパではフェーデといって、犯罪の被害者やその親族が自分達の手で犯人に復讐することがひろく認められていました。一方で、犯罪者は贖罪金の支払いにより罪を贖うことができました。 ラント平和令という法律ではこのフェーデと贖罪金制度が廃止され、治安維持を目的に新たな刑罰が定められました。犯罪者を見せしめのために公開処刑するという制度がここに始まったのです。

このように、中世ヨーロッパの法律・法制度の歴史は、現在のフランスやドイツといった国の成立と大きく関わっていました。国の成立・発展とともに法律や法制度も整えられていったのです。しかし政治が混乱すると法律もまた混迷するのが世の常です。この後、現代に近い合理的で画一化された法律が制定されるのは、まだまだ先のことになります。

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ライターからひとこと

法律というと、堅苦しい言葉で難しいことが書いてあるというイメージがありますが、その成り立ちや目的がわかれば理解もしやすくなると思います。それにしても、贖罪金を払えば罪を償ったことになるとは、ある意味合理的な考え方ですね。 本書ではこの他にも、フェーデに伴う保護区の存在や、刑罰の詳細についても丁寧に解説されています。本書を参考に、中世を舞台にしたミステリーや復讐劇を書いてみるというのも面白そうです。