技術よりも理論派だった? 迷信に彩られた中世の医術

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現代社会において、医者は「先生」と呼ばれる職業のひとつです。病院へ行けば、医者の診断によって自分の症状に合った治療を受けることができます。
時代とともに医療技術が発達するにつれて、かつては治らなかった病気にも有効な薬が開発され、より適切な処置がおこなえるようになりました。それは、科学技術の発展とともに歩んできた道とも言えます。しかし、現代のように科学の知識が浸透していなかった中世では、医術はまったく違う理論によって成り立っていたのです。
『図解 中世の生活』(池上正太 著)では、中世のヨーロッパにおける人々の衣食住について丁寧に紹介しています。今回はその中から、中世ヨーロッパの医術についてお話します。

目次

床屋と外科が同業者! 荒っぽい中世の医術

中世のヨーロッパでは、床屋が外科を兼ねていました。
外科的な医術のひとつに「瀉血(しゃけつ)」という治療法があります。これは、刃物で身体を傷つけることで病気の原因となる悪い血を抜くためにおこなわれました。刃物を使って人の身体を整える、という点で床屋と外科は共通していたのです。
中世で実践されていた外科的な医術は他にもあります。たとえば転んでケガをしたとき、傷口をワインで洗い流したあとに卵白で覆うといった技術は、現代の私たちから見ても非常に理にかなった処置ではないでしょうか。傷口をアルコールで消毒し、ばい菌が入らないように絆創膏を貼るのと同じですね。
ひどい外傷や歯の治療に対しては、やや荒っぽい治療がおこなわれました。焼きごてで傷を焼き切ることで止血したり、虫歯の原因となった歯をそのまま引っこ抜いたりと、強い痛みを伴うものでした。歯医者は大道芸人のような恰好をして、患者の悲鳴が聞こえないように太鼓を打ち鳴らして治療をおこなったとか。当時は現代のような麻酔技術はありませんから、その痛みは察するに余り有ります。

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治療の日時は占いで決める? 迷信だらけの中世の医術

中世のヨーロッパで医術を学ぶために利用されたのは、古代ギリシアで医学者をしていたヒポクラテスの書いた本や、ローマ時代のギリシアで同じく医学者をしていたガレノスの残した『精気論』といった古代の書物でした。
そもそも中世という時代は、古代から受け継がれてきた迷信や経験則が社会の秩序を支配していました。そのため実践的な治療法をおこなう外科よりも、占星術を用いて病気の原因を突きとめたり治療に適した日時を決めたりする迷信深い内科のほうが尊ばれたのです。医者というよりは、祈りによって奇跡を起こそうとする祈祷師に近いかもしれません。
こうした迷信だらけの医術が発達した背景には、信仰心の問題もあります。中世ヨーロッパの人々にとって、キリスト教は世界の価値観や道徳の基礎となっていました。そのキリスト教の教えと『精気論』における霊魂の考え方が合致するとして、教会が内科に権威を与えたのです。技術よりも、病気の仕組みを説明するための理論が尊重されました。
しかし一部の内科では、尿の匂いや色から病気を診断するなど、現代にも通じる医療もおこなっていました。科学的な知識はなくても、古代より培ってきた経験が中世の医術を支えていたのですね。

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ごみの処理は豚にお任せ! 中世の衛生事情

そもそも、中世の衛生レベルはどれほどのものだったのでしょうか。
当然ですが、この時代には水洗トイレのような便利なものはありません。農家の場合は豚や牛のいる家畜小屋で排泄をしてそのまま肥料として利用するか、人気のない野外で済ませていました。
都市へいけばおまるが設置されている場所もありましたが、中のものは明け方に道路へ捨てて処理をします。捨てられた糞便は基本的にゴミ処理人が片付けますが、放し飼いをしている豚に食べさせることもありました。
このように、中世の町中は汚わいにまみれており、それが上水道の汚染や疫病を引き起こす原因となったのです。
しかし一方で、外出前の手洗いや洗顔はきっちり行っており、身だしなみについては気を遣っていました。かみ砕いた木の葉を歯磨き粉として用いるなど、中世ならではの工夫もうかがえます。

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本書で紹介している明日使える知識

  • かまどとパン
  • 中世の刑罰
  • 中世の疫病
  • 信仰と暮らし
  • etc... 

ライターからひとこと

中世ヨーロッパと聞くと、ファンタジー世界に出てくるような美しいお城や風情ある街並みが思い浮かびます。しかし実際の中世は、悪臭と迷信に満ちた世界でした。けれどそこに、中世ならではの魅力があると感じませんか。
その頃に比べると今はずいぶん医療も発達して快適な暮らしに思えますが、もっと先の未来では、病気そのものがなくなっているかもしれません。現代においても治らない病に対して私たちができるのは、祈ることだけです。そう考えると、未来の人々も同じように過去を振り返って、「昔の人はよくこんな環境で暮らせたなあ」と思うのではないでしょうか。