トーマス・エジソンといえば、蓄音機や白熱電球を発明したことで知られる発明家。今では科学の申し子のように思われているエジソンですが、ある オカルト団体に参加していたことがあるのを知っていますか?
その団体は「神智学協会」といい、1875年にニューヨークで設立された近世最大の神秘主義団体です。設立者はブラヴァツキー夫人と呼ばれる女性でした。
今回は、ブラヴァツキー夫人と神智学協会についてお話ししましょう。
目次
18歳で婚家を出奔! ブラヴァツキー夫人の半生
ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー(エレナ・ブラヴァツキーとも)は、1831年にロシアのエカテリノスラフ(現在のウクライナのドニエプロペトロフスク)に生まれました。父親はドイツ系貴族、母方の祖母はロシア建国者リューリクの血を引く家の出身で、従兄弟がのちに帝政ロシアの首相を務めたそうですから、名門の出身といえるでしょう。
ヘレナは18歳の年にエレヴァン市(現在のアルメニア首都)副知事で22歳上のブラヴァツキー氏と結婚し、ブラヴァツキー夫人となりました。しかし半年もたたずに婚家を飛び出してしまいます。
その後しばらくの間、ブラヴァツキー夫人の足取りはよくわかっていません。のちの神智学協会による公式見解では、世界中を旅して自然が宿す普遍的英知を探し求め、エジプトや中東、インド、日本などで秘儀を学んだとされています。
しかし従弟のウィッテ伯爵によれば、イギリス人船長と駆け落ちしたあとサーカスに入団し、霊媒の助手やピアノ教師などの仕事をしながら地中海沿岸を転々としていたとのこと。
ともあれこの時期に神秘思想の造詣を深めたのは間違いないようです。
1858年にロシアに帰還したブラヴァツキー夫人は、一人前の霊媒師となっていました。彼女は各地で交霊会などを開いて才覚を発揮し始めます。そして1873年、42歳のときにニューヨークへと渡りました。
アメリカで交霊会を渡り歩きながら盟友を増やし、ブラヴァツキー夫人は地盤を固めていきます。
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神智学協会の設立 薔薇十字団研究から東洋思想へ
1875年、ブラヴァツキー夫人は盟友オルコット大佐らとともに神智学協会を発足。人間の中にある神秘的パワーを探求し、科学と宗教を関連づけて、17世紀の薔薇十字団の目的を達成することを目指す団体でした。
2年後の1877年にはブラヴァツキー夫人による書物『ヴェールを剥がれたイシス』が出版されます。上下巻合わせて1000ページを超える大著で、古今東西の宗教や神秘哲学を紹介したこの本は、オカルト界に大好評で迎えられました。
当初カバラ思想やエジプト神秘主義の影響が見られたブラヴァツキー夫人は、この頃から東洋思想へ転換していきます。もともとインドやチベットに興味はあったようですが、彼女は1879年にインドのマドラス近郊の町アディヤールへ渡り、それにともなって神智学協会も本部を移転しました。
インドへ移ったブラヴァツキー夫人は、そこでマハトマという存在と出会ったとされています。彼女によればマハトマとは霊的指導者のことで、ヒマラヤの山奥で修行しながらブラヴァツキー夫人を霊的な力で守護しているというのです。
また指示のため手紙や電報を送ってくるといい、衆人環視の中で空中から手紙を出現させるという奇跡も起こしました。
インドに拠点を移したブラヴァツキー夫人は、ヨーロッパを中心に世界各地を歴訪し、当時の知識人や文化人から歓迎されます。
神智学協会は急速に発展し、1885年までに各地に121のロッジ(支部)を設置。生物学者のアルフレッド・ウォーレスや、最初に挙げたトーマス・エジソンも会員に名を連ねました。またロンドン支部には、のちに魔術結社「黄金の夜明け団」を設立するウィリアム・ウィン・ウェストコットやW.B.イェイツなども加入していたそうです。
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トリックを暴かれるも権威衰えず 『秘密の教義』出版
順風満帆に見えたブラヴァツキー夫人ですが、やがてトラブルに見舞われます。会合などで行っていた奇跡の信憑性を疑われ、ついに「空中から手紙出現」のトリックを暴かれたブラヴァツキー夫人は、インドの神智学協会本部を去らざるを得なくなりました。
しかしインドを追われたブラヴァツキー夫人が失墜してしまったのかというと、そういうわけでもないようです。しばらく放浪した彼女はやがてロンドンに落ち着き、「ブラヴァツキー・ロッジ」を立ち上げます。彼女のまわりには再び人が集まり始めました。
そして1888年、ブラヴァツキー夫人は『秘密の教義』を刊行するのです。
『秘密の教義(シークレット・ドクトリン)』は、インドで得た知識を存分に注ぎ込んだブラヴァツキー夫人の主著で、宇宙の創造から未来までを7つの「循環期」に分けた「根源人類論」や「宇宙進化論」、アトランティスやレムリアといった超古代文明など、東西のオカルティズムを融合させた壮大な世界が描かれます。この書物は後世に大きな影響を与えました。
その後も『神智学の鍵』を出版するなど精力的な活動を続けたブラヴァツキー夫人ですが、1891年、心臓病や腎不全などの合併症により生涯を閉じます。59歳でした。
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詐欺師か? 人類の導き手か? 近代オカルトの母
死後もブラヴァツキー夫人はオカルト界に影響を及ぼしました。彼女の神智学協会をきっかけに生まれた団体としては、先に挙げた「黄金の夜明け団」の他、「アカシック・レコード」で知られる神秘思想家シュタイナーの「人智学協会」などがあります。
また著書『秘密の教義』は、ヒトラーのナチスが掲げた「アーリア人至上主義」に影響を与えたともいわれています。
時代下って1970年代アメリカでは、反産業社会・反科学・反都市文明を志向する若者たちによるニューエイジ運動が盛り上がりました。参加した若者たちはヨーガや禅、道(タオ)などの東洋思想に傾倒しましたが、彼らの参考書となったのが、ブラヴァツキー夫人の『秘密の教義』だったのです。
現代のスピリチュアルなどにも影響を与え続けているブラヴァツキー夫人。まさしく「近代オカルティズムの母」と呼ぶのにふさわしいでしょう。
ライターからひとこと
19世紀末から20世紀初頭は科学とオカルティズムの時代。今では荒唐無稽に思える理論もありますが、従来のキリスト教社会が衰退したために信じるべきものを見失い、迷っていた人々の姿は身近に感じます。そんな迷える人々の心を掴む方法を、ブラヴァツキー夫人は心得ていたのでしょうね。トリックを暴かれても孤立しなかった様子から、それがうかがえます。