案外堅実で合理的だった? 知られざる戦国武将の日常

戦国武将_日常

戦国武将というと、どうしても戦場の活躍ばかり目がいってしまいますよね。しかし戦場で活躍するためには、日常生活でも体を鍛えていたはずです。戦国武将達は普段一体どのような日々を送っていたのでしょう。
 『図解 戦国武将』(池上良太 著)から、戦国武将日常についてお話します。

目次

戦国武将の日常①-1日のサイクル

戦国武将の起床時間は午前3時から午後5時までの間です。これほど早く起きていた理由として、夜襲の警戒がありました。
起床した武将は、まず始めに屋敷の点検をし、行水して神仏に礼拝しました。その後に身支度や家人への用事申しつけをします。
城勤めをしていた武将は、午前6時には城に出仕していました。ただし現在のサラリーマンとは異なり、毎日出仕していたわけではありません。必要に応じて出仕していたようです。
朝食は午前8時ごろです。城に出仕する武将は当然間に合いません。そのため、弁当を持参するか、腹もちのするものを食べていました。主君によっては、武将の朝食を世話している場合もありました。

城での仕事は、身分や役職によって異なります。身分の低いものは馬の世話や城の備品管理といった雑用や警備を担当していました。それ以外のものは、役職に応じた仕事を行います。例えば右筆(ゆうひつ)であれば、書類の作成をしていました。 精神的に最も大変だったのは小姓(こしょう)でした。ほぼ24時間主人の身の回りの世話で忙殺されていたといいます。

一方、城に出仕していない武将たちも、忙しい日々を送っています。身分の高い武将は、自らの領地の管理や接待などに時間をとられ、身分の低い武将は生活の糧を得るために、畑仕事などに従事していたのです。
当時はまだ照明が発達していなかったため、警備などの一部の仕事を除き、大半の仕事は夕方には終了します。夕食は午後2時、そして午後6時には門を閉めます。その後に屋敷の点検、火元の確認などを行い、午後8時には就寝していました。

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戦国武将の日常②-体の鍛え方

日常の仕事も忙しかった戦国武将ですが、それでも戦場で活躍するためには体を鍛えなければなりません。そこで武将たちは仕事の合間を縫って体を鍛えたり、戦場で役に立つ技術を身につけていました。
武将たちがまず身につけなければならなかったのは、数々の武芸です。弓や刀、槍、鉄砲といった武器の扱いだけではなく、馬、組打(素手での格闘術)、水練(水泳)、忍術といったものまで武芸に含まれていました。
戦国時代には武芸も既に体系化されており、師となる人物も存在しています。そこで武将たちは、それぞれに師となる人物を選び、弟子入りしていきました。
こうして短い時間の合間でも、効率よく武芸を修得していったのです。

また武将の中には、どこの家にも仕えていない者もいます。こういった武将は各地を巡って様々な流派の技を学んだり、他流試合を行って腕を磨いたりと、武者修行を行うことで武芸を身につけていきました。
こういった武者修行は、単に武芸修得だけが目的ではありません。自らの名声を高めることも兼ねています。名声が高まれば、興味を持った大名から招かれることもあるためです。

訓練の中には、娯楽を兼ねたものも多くありました。体を鍛えることは戦場で活躍するための必須項目ではありますが、肝心の戦はいつ発生するとも分かりません。日常の仕事に忙殺される中で、明確な目的も持てずに体を鍛えていては、精神的にも悪く長続きしません。そこで息抜きにもなる訓練が考案されたのです。
娯楽を兼ねた訓練として、流鏑馬(やぶさめ)、笠懸(かさがけ)、犬追物(いぬおうもの)があります。流鏑馬、笠懸は馬上から弓で的を射るもの、犬追物は馬で犬を追いかけ、矢で射殺すものです。どれも弓術と馬術の訓練にもなり、武将達に好まれていました。
他にも相撲、水練も好んで行われた訓練です。相撲は織田信長が好んでおり、大規模な相撲大会も開催しています。水練に関しては、徳川家康がかなり老齢になるまで川で泳いでおり、周囲を驚かせたといわれています。

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戦国武将の日常③-頭の鍛え方

戦国武将は何も体だけを鍛えていたわけではありません。「文武は車の両輪」とも考えられており、様々な教養も身につけていました。特に戦国大名の子息は、多岐に渡る教養が必要とされており、多くの武将たちは子供のころから勉学に励んでいました。

戦国時代に主な教育機関となったのは、禅宗の寺院です。織田信長、武田信玄、上杉謙信といった名だたる武将だけではなく、低い身分から出世を果たした豊臣秀吉なども寺院に預けられています。また下野国(しもつけのくに)には、専門の教育機関として足利学校のようなものもありました。
武将たちが寺院で学んでいたのは、およそ2~3年、長くて3~4年です。この間に、基本的な読み書きや経文、往来物と呼ばれる一問一答形式の教科書を使った武家のしきたり、一般常識、その他児童教育が施されました。これが終わると、次には中国の学問書『四書』、『五経』や和歌などの知識を学びました。
更に勉強がすすむと、日本の古典文学である『源氏物語』、『古今和歌集』、『万葉集』、『和漢朗詠集』などの文学的教養や医術なども身につけました。

大人になってからも戦国武将の勉強は続きます。特に大名ともなると、幕府や公家との交渉のために有識故実や蹴鞠、絵画、立花、香道といった貴族的な文化も学んだといわれています。

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ライターからひとこと

和歌なども学んでいた戦国武将たちですが、こうした学問を退屈だと考えていたものもいたようです。武田信玄などは、もっと実践的な勉強をしたいと師に頼んだといわれています。こうした武将たちに教えられたのが中国の軍学書『七書』です。