世界の中心で太陽神アポロンの聖地 デルフォイの神域とは


デルフォイは古代ギリシアにあった神域で、その遺跡は現在では世界遺産に登録されています。

目次

デルフォイってどんな場所?


【デルフォイ基本情報】
  • 場所:現在のギリシア共和国、フォキス地方南のパルナッソス山南麓
  • 建立年代:? ~紀元前330年頃
  • 建設者:不明
  • 古代ギリシアの宗教的神域だったが、ローマ時代に破壊された

デルフォイがいつ頃できたのかは、はっきりしていません。火災などに遭い何度も再建されており、現在発掘されている遺跡は紀元前330年頃に完成したものです。

デルフォイは宗教的な神域で、その中心には太陽神アポロンの神殿が建てられていました。神殿内の部屋ではピュティアと呼ばれる巫女が床の割れ目から湧き上がる蒸気を吸ってトランス状態となり、人々に神託を下していました。


デルフォイには神託を求めて周辺の都市国家から多くの人々が集まったといわれています。そのため、デルフォイの地は一種の交流の場・国際的な情報センターのような役割も果たしていました。

やがてローマ時代になると、392年にローマ皇帝テオドシウスがキリスト教以外の宗教を禁止したため、神域は破壊されてしまいます。
以後、デルフォイは長らく廃墟のままでしたが、1860年頃にフランスの考古学者たちによって調査・復元されました。


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3行で解説! デルフォイをめぐる2つの伝説


デルフォイにはさまざまな伝説が残されています。今回はその中から2つの伝説について、3行でわかりやすくご紹介しましょう。

伝説① デルフォイが太陽神アポロンの聖地となった理由

・デルフォイにはかつて、大地の女神ガイアの子供で怪竜のピュトンが住んでいた。
・しかしある時、主神ゼウスの子どもで太陽神のアポロンがピュトンを射殺した。
・以後、デルフォイはアポロンの託宣所となった。

伝説② デルフォイの別名が「世界の中心」になった理由

・ある時、主神ゼウスが2羽の鷲を同時に放った。
・鷲は世界中を飛び回り、2羽とも反対側から同じタイミングでデルフォイに戻って来た。
・このため、ゼウスはデルフォイを「世界の中心」と定めた。


実際、デルフォイにはギリシア語で「へそ」という意味の石が置かれており、世界の中心であることを表していました。
ところがこの石は1913年に発掘された後、何者かによって盗まれてしまい、現在もその行方はわかっていません。


ソクラテスに下された神託


デルフォイではどんな神託が下されていたのでしょう? 哲学者プラトンの著した『ソクラテスの弁明』には、次のようなエピソードが記されています。


・ソクラテスの友人はデルフォイで、「ソクラテスより賢い者はいない」という神託を得た。
・ソクラテスは神託の意味を確かめようと、知恵者と評判だった人々と対話を重ねた。
・その結果、彼らは「知っていると思い込んでいる」のに対し、自分だけが「無知を自覚している」ことに気付いた。


「無知の知」として有名なこのソクラテスのエピソードは、デルフォイで下された神託が元となり誕生したのです。
ソクラテスはその後、政治家や詩人など様々な人々と対話を重ね、彼らの無知を指摘して回るようになります。その結果多くの人から反感を買い、最終的に裁判で死刑を言い渡されてしまいました。


デルフォイに飾られていたもの


最後に、古代ギリシア時代のデルフォイの様子を簡単にご紹介しましょう。

デルフォイの神域は、南北約180m、東西約130mのひし形をしています。中心にはアポロン神の神殿があり、神殿へと続く参道の西側には、ギリシア各都市から贈られた宝物や戦争の記念碑が飾られていました。

当時、ギリシアの諸都市は戦争に勝利すると、自分たちの勢力を誇示するために、記念碑などの建築物をデルフォイの神域に寄進していました。有名な記念碑には、


・アテナイがペルシア軍を破ったマラトンの戦い(紀元前490年)の記念碑
・スパルタがアテナイに勝利したペロポネソス戦争(紀元前431年~紀元前404年)の記念碑


などがあります。デルフォイじたいはギリシア世界の宗教的な中立地域となっており、政治的・軍事的な力を持った都市ではありませんでした。

現在でも、デルフォイではアポロン神殿や宝庫、古代劇場などの遺跡や、「へその石」のレプリカなどを見ることができます。機会があれば訪れてみるのも良いかもしれませんね。


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