3千の寵愛を受けた唐のシンデレラ楊貴妃の純愛ストーリー


世界3大美人の1人、楊貴妃。 今でも絶大な知名度を誇っている彼女の人生は、その美しさによって誰もが羨むシンデレラストーリーを歩んでいます。
多くの名のある歴史上の人物が 政略結婚 によって政治や国を左右していた時代に、楊貴妃 と夫である玄宗との恋愛は、ラブロマンスを思わせる純愛物語であり、悲劇的なものでもありました。
今回は、楊貴妃と玄宗の出会いから別れ、そして2人を取り巻いた男達と共に楊貴妃が歩んだ美しく華やかな愛の物語を『プリンセス』(稲葉義明/F.E.A.R. 著)よりご紹介します。

目次

ラブロマンスを駆け抜けた楊貴妃の生涯

楊貴妃の生年は719年。幼名は玉環とつけられました。彼女の両親は成年を待たずに早死にしてしまったのか、あまり多く語られません。
両親を失った玉環は河南府(洛陽)で役人をしていた叔父に引き取られました。河南府への転出は、玉環にとって最初の転機となります。
若き日より希代の美少女だった彼女の美貌は、叔父の任地が都の長安にほど近かったのが幸いし、たちまち都へと届いていきました。
そして玉環が17歳を迎えたころに、思いもかけない縁談が持ち上がってきます。この縁談から、いずれ妃となる少女のシンデレラストーリーが始まっていくのでした。

彼女が最初に召し出されたのは、玄宗皇帝が当時溺愛していた武恵妃の子であり、次期皇帝の第1候補とも噂されていた寿王の元。玉環は役人の末娘から一転、寿王妃と呼ばれ、華やかな宮廷を出入りする身分となります。
地方役人の末娘が、一夜で遂げた華麗な転身。
この時点でも十分過ぎるものでしたが、恐らくこのまま寿王妃として一生を終えれば、世界に名だたる美人の代名詞として知名度を得ることはなかったでしょう。

737年、武恵妃が病死したことで、玉環は歴史の大舞台にあがることとなります。
寿王は武恵妃の後ろ盾を失い、急速に皇太子の座から遠のいてしまいました。
武恵妃を失い、嘆いたのは息子だけではありません。夫である玄宗もまた、意気消沈し、唐の繁栄を導いた若き日の情熱を失ってしまいました。3千の美女がいると言われた巨大な後宮の中にも彼女に代わる者はいません。

しかしある日、鬱々と過ごす彼の耳に、「寿王の妃は絶世の美人です」と言う噂が届きます。
皇家が冬に使う別荘地で拝謁した2人は、そこで仲を深めていきます。
寿王妃は息子の嫁。さすがの皇帝も横取りをためらいます。そこでいったん、妃は女冠という女性修行者として出家させられ、楊太真と改名することになりました。世間体が悪いのは無論のこと、当時の宗教的な観念では不吉なこととされていたため、こうした手順を踏んだのです。出家後、彼女は正式に楊貴妃の称号を贈られ、貴妃としての立場を与えられました。楊貴妃の豪奢で煌びやかな生活の始まりです。

このとき楊貴妃は27歳。玄宗は60歳を越えていました。
楊貴妃の魅力に捕らわれた玄宗は、彼女との華やかな生活をすごし、遊惰に溺れます。しかし、政治から遠のいた玄宗の代わりに台頭してきた2人の男、楊国忠と安禄山によって、楊貴妃と玄宗の生活は崩壊します。
755年に、寵愛される楊貴妃を利用し、のし上がろうとしていた男、楊国忠、そして彼によって悪評を流され、反乱を起こすこととなった安禄山はぶつかり合います。

安禄山の圧倒的な力の前になすすべもなく、楊国忠は玄宗や楊貴妃などの親族を伴い、逃避行を企てました。
しかし、共だった兵は疲労と餓えにより、安禄山の反乱の原因となった楊国忠に不満が集中し、楊一族は楊貴妃を除いて皆が暴徒化した兵士によって殺されてしまいます。
玄宗が兵を慰撫し、必死に楊貴妃を庇いますが、兵士達にとって親族を生かしておくのは気が気ではありませんでした。臣下は玄宗に決断を迫ります。やがて玄宗は腹心の説得に落ち、一切を腹心に委ねると、楊貴妃はこの地の祠で縊死を遂げます。
遺体は道ばたに埋められ、唐のシンデレラの物語はここで幕を閉じます。

楊貴妃2
◎関連記事
国を愛し、国に愛されるクレオパトラの恋と生涯

唐のシンデレラ楊貴妃を取り巻く3人の男

楊貴妃を溺愛した玄宗の他に、楊貴妃に近づき、利用した男が2人います。
1人は、のし上がろうと楊貴妃を利用し、そして彼女の死を招いた直接的な原因でもある楊国忠です。
彼は、楊貴妃から見ると祖父の甥の子であり、またいとこにあたる親族でした。粗暴で身持ちが悪く、親族の中でも鼻つまみ者でしたが、口達者で得意の口先で楊貴妃や玄宗に巧みに取り入り、豪勢な生活をほしいままにしていました。
彼は、ライバルの安禄山とは違い、都に邸宅があったため、巧みに安禄山の悪い風説を都中に振りまき、彼を蹴落とすことが可能でした。
追い詰められた安禄山は、楊貴妃が縊死を遂げることになった「安史の乱」と後に呼ばれることになる反乱を起こし、楊国忠は上述の通り、その乱で兵達に殺されます。

もう1人の安禄山は、異民族でありましたが、節度使という辺境警備の任務で名を上げた実力者です。残忍でしたが、知恵者で、人の心情をよく読める人物でした。物怖じせず自分をアピールし、楊貴妃を舞や口で喜ばせました。彼女の養子になりたいと申し出をし、寿王とも玄宗との間にも子宝に恵まれなかった楊貴妃はこれを大いに喜び、申し出を受け入れると彼が帰ってくる度に豪勢にもてなしました。 反乱を起こした安禄山はその後、暗殺をされて命を落とします。

楊貴妃の地位を利用するために近づいたのも、2人の権力争いに彼女が巻き込まれたことで命を落としたことも事実ですが、彼女と楊国忠の間には家族の親愛が、安禄山には親子の愛情があったことも事実でしょう。

3千の寵愛一身にあり。楊貴妃と玄宗の純愛

後宮には3千もの美女がいましたが、楊貴妃1人の魅力には敵うことはありませんでした。 玄宗は彼女にまさしくぞっこんであり、安史の乱が起こるまでの約10年間欠かさず冬を温泉宮にて彼女と過ごしていました。
楊貴妃の美しさを讃える歌を作らせ、それを聞いた楊貴妃が歌に合わせて舞を披露したり、中庭で花の香りを楽しみながら肩を寄せて語ったり、合歓の実が贈られてきた際には一緒に仲睦まじく箸を取るさまを画に書かせました。
まるで若い新婚夫婦ののろけ話のような二人の活き活きとした生活描写が様々な伝承から垣間見えることも、彼女の人気のひとつでしょう。

玄宗と楊貴妃の関係は、皇帝と愛妾の艶めかしい関係というよりは、寧ろ初恋の純愛のような微笑ましさを感じさせます。
しかしそんな2人も喧嘩をしたことがあり、2度目のときは、楊貴妃が死を覚悟するほどでした。最期に玄宗への愛の印として贈り物をすることを考えましたが、身の回りのものは全て玄宗から賜った物。そこで、彼女は髪の毛を一房切りとり、玄宗に贈りました。それを受け取った玄宗は深く感じ入り、結局楊貴妃を許し、喧嘩は一夜で終わったそうです。

玄宗が楊貴妃に入れ込んだことで、唐の没落が始まったと言っても過言ではありません。しかし2人の物語は、皇帝を弄んだ悪女と悪女に魅了された男の物語ではなく、美しく華やかな生活と育んだ愛の記録、そして楊貴妃の悲劇の死から、今日でもラブロマンスとして語り継がれています。

楊貴妃3


本書で紹介している明日使える知識

  • 王昭君
  • 千姫
  • かぐや姫
  • コーデリア
  • サロメ
  • etc... 

ライターからひとこと

役人の末娘がお姫様となり、争いに巻き込まれ悲劇的な死を遂げる……。お伽話のような生涯をたどった楊貴妃の物語は、現実にあったことです。まさに事実は小説よりも奇なり、ですね。
もしかしたら皆さんが突然楊貴妃のようなシンデレラストーリーを歩むことになるかもしれませんよ。 その時は、ガラスの靴か、髪の毛一房を忘れずに……。